『PLUTO プルートウ』第8巻より。(c)浦沢直樹・長崎尚志・手塚プロダクション/小学館
『PLUTO プルートウ』第8巻より。(c)浦沢直樹・長崎尚志・手塚プロダクション/小学館

 手塚治虫が亡くなって33年、長男の手塚眞は、父親が亡くなった歳、60歳を超えた。

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 現在手塚プロダクションの取締役でもある眞は、手塚の作品はシェイクスピアのようなものになればいい、と考えている。シェイクスピアは亡くなって400年以上たっても、その作品の数々は忘れられないでいる。それは、戯曲そのものが現在も上演されているという意味ではなく、その物語が、さまざまな別の作家の手によって生まれ変わっているからだ。

 2002年の冬、その話は小学館から、手塚プロ社長の松谷孝征のもとに持ち込まれた。『YAWARA!』『MONSTER』などでのりにのっているマンガ家浦沢直樹が、アトムを描きたいという。

 アトムの中でもプルートウというロボットが七体の最強ロボットと対決する「地上最大のロボット」(1964~65年)を下敷きにした作品を描きたいというのだ。

 松谷は、浦沢が描いたキャラの企画書を、眞になげる。が、眞は、いったんは、この話は受けないほうがいいと、松谷に返した。

 というのは、浦沢が描いてきたキャラクターが、手塚治虫への遠慮があってか、ほとんど原作と絵柄が変わっていなかったからだ。アトムも、ロボットの破壊事件を捜査する刑事ロボ、ゲジヒトも。

「これでは浦沢さんにやってもらう意味がないと思います。お断りしたい」

 しかし、それから数カ月後に小学館から再び連絡が入った。浦沢が「どうしてもあきらめきれない」のだという。アトムの「地上最大のロボット」は浦沢が子供のとき読んで、忘れられないマンガなのだと。

 そこで、銀座のレストランで、浦沢と元ビッグコミックスピリッツ編集長の長崎尚志の二人に眞は会うことになる。

「私は浦沢さんのアトムが読みたいんです。手塚と同じならば意味がない」

 そう、眞は切り出した。この浦沢「アトム」のプロデューサーになる長崎はまさに「望むところ」という感じの反応を示した。

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下山進

下山進

1993年コロンビア大学ジャーナリズム・スクール国際報道上級課程修了。文藝春秋で長くノンフィクションの編集者をつとめた。聖心女子大学現代教養学部非常勤講師。2018年より、慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授として「2050年のメディア」をテーマにした調査型の講座を開講、その調査の成果を翌年『2050年のメディア』(文藝春秋、2019年)として上梓した。著書に『アメリカ・ジャーナリズム』(丸善、1995年)、『勝負の分かれ目』(KADOKAWA、2002年)、『アルツハイマー征服』(KADOKAWA、2021年)、『2050年のジャーナリスト』(毎日新聞出版、2021年)。元上智大新聞学科非常勤講師。

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