東京ドームで現役を引退。最後のリング上で(98年4月)
東京ドームで現役を引退。最後のリング上で(98年4月)

 アリへの莫大なファイトマネーの支払いで多額の借金を背負い、窮地に陥った猪木さんだが、新日本はその後、黄金期を迎える。猪木さんは“殺し”の異名を取った極真空手のウィリー・ウィリアムスらとの異種格闘技路線を推し進め、アンドレ・ザ・ジャイアントやスタン・ハンセン、ハルク・ホーガンといった外国人選手らと熱闘を繰り広げた。

 また、初代タイガーマスクの華麗な空中殺法や「名勝負数え唄」と呼ばれたまな弟子、長州力と藤波辰巳(現辰爾)の日本人ライバル対決などを、当時テレビ朝日の若手アナウンサーだった古舘伊知郎さんが伝えた。

 引退後の猪木さんは総合格闘技のイベントにも深くかかわり、柔道メダリストから転向した小川直也らを育てた。90年代以降、多様なバックボーンを持つ格闘家が戦う総合格闘技というジャンルが認知され、観客の目も肥えてくる。

 総合格闘技で、打撃系と寝技系の選手の試合などで往々にして起こる膠着状態は「猪木アリ状態」と呼ばれ、アリとの一世一代の真剣勝負は、総合格闘技の原点とも言える戦いと再評価されたのだった。

 アリ戦が当時は酷評されたことについて柳澤さんは、「世界ではボクシング記者が多いわけですから、それは当然だったと思います」と言う。

「アリの取材をしているボクシング記者にとっては、あの試合は非常にくだらないものになる。日本のインテリも欧米のマスコミに追随して、あれはくだらない試合なんだと。しかし現在のメイウェザーvs.朝倉未来の試合に至るまで、日本人が好きなのは総合格闘技ではなくて、猪木さんがつくり出した異種格闘技戦だった。我々はいまだに猪木さんが76年につくり出した世界観の中にいるんじゃないでしょうか」

 猪木さんが立ち上げた新日本は今年、創立から半世紀を迎えた。テレ朝時代に中継を担当し、闘病中も頻繁に自宅を訪れていたという古舘さんは1日、猪木さん宅を弔問に訪れた。

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黄金期支えた古舘さん「猪木さんのいなくなった世界は…」