東京・日本武道館で行われたアリとの「世紀の一戦」(1976年6月26日)
東京・日本武道館で行われたアリとの「世紀の一戦」(1976年6月26日)

 元プロレスラーで参院議員を2期務めたアントニオ猪木(本名・猪木寛至)さんが10月1日、79歳で亡くなった。「元気ですか!」のかけ声や「闘魂ビンタ」で引退後も沸かせ、金銭スキャンダルなどでも世間を騒がせた、規格外のスターだった。

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 猪木さんの悲報が伝わると、かつてのまな弟子たちがSNS上に次々と追悼コメントを寄せた。

<やっと解放されましたね。リングを降りても貴方は闘魂アントニオ猪木でした。まさに闘魂そのものでした。猪木さんどうか安らかに>(長州力さん)

<我がスーパーヒーロー、アントニオ猪木が亡くなったとの一報が入った。ついにこの日が来たか、猪木さんが逝ったんだ。まだなんとも言えぬ気持ち。心よりご冥福を祈りします>(高田延彦さん、いずれも自身のツイッターから)

 近年は全盛期の雄姿とはほど遠い姿をカメラにさらし、難病と闘う姿を自身のYouTubeなどを通じて発信。その姿を追ったドキュメントがNHKの地上波でも放映され、大きな反響を呼んだ。

 そんなレスラー猪木のハイライトは何と言っても1976年6月26日、東京・日本武道館で行われたボクシング世界ヘビー級王者、モハメド・アリとの一戦だろう。猪木・アリ戦の真実に迫った『1976年のアントニオ猪木』(文藝春秋)の著者でノンフィクションライターの柳澤健さんが言う。

「猪木さんにとって一番大事な試合がアリ戦です。猪木さんは、力道山が始めて、馬場さんがアメリカンプロレスを持ち込んで大きくした日本のプロレスを、決定的に格闘技のようなものに変えてしまった偉大なるプロレスラーでした。その契機となったのがアリ戦だったと思います」

 ともに力道山に師事し、同じ日にプロレスデビューしたジャイアント馬場さんが72年10月に立ち上げた全日本プロレスは、空手チョップで外国人レスラーをなぎ倒していった力道山の勧善懲悪スタイルを継承。日本テレビがゴールデンタイムで毎週放映したこともあり、安定した人気を誇った。

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