齋藤孝さん(右)と林真理子さん(撮影/写真映像部・高橋奈緒)
齋藤孝さん(右)と林真理子さん(撮影/写真映像部・高橋奈緒)

林:私、前に娘の高校の国語の教科書を見たら、評論家みたいな人の文章が載ってるんです。それが、改行がなくて長くて……。私でも意味がわからない難しい文章なんです。これじゃ国語嫌いを増やすんじゃないかと思いました。

齋藤:国語が好きじゃないという人の割合はけっこう高くて、その理由の一つとして「難解な評論文を読まされて嫌いになった」ということがありますね。

林:うちの娘、本が嫌いなんですよ。「面倒くさい」って。

齋藤:いま、全体的に書く文章が短くなってますよね。ツイッターなんかでもそうですね。

林:若い人はLINEでも「了解」を「りょ」とか「り」とか(笑)。

齋藤:気の利いたことを手短に言うというコメント力自体は上がってる感じがするんですが、根気が足りないんですね。この本(『教科書』)を書いたのも、ある程度の長さのものを読んでほしいと思ってもなかなか読まれないので、ハイライトの部分をわかってもらえば、続きを読みたいとか、前後を読みたいと思ってもらえるんじゃないかって理由からなんです。みんなが読んでいると盛り上がるのが古典で、たとえば、「『嵐が丘』? なんとなく知ってる」という共有感があると話しやすいですよね。

林:共通言語としての文学がなくなりましたね。

齋藤:アニメやゲームはありますけど、本を題材にして話をすることが難しくなってますね。古典も音読してみると短いものならけっこう楽しいんですけどね。

林:「ハムレット」もそうですよね。シェークスピアの翻訳で有名な松岡和子さんにもこのページに出ていただいたんですけど、先生はこの本で坪内逍遥訳の「ハムレット」をお使いですよね。それは何か意図があるんですか。

齋藤:坪内逍遥は日本で初めてシェークスピアを全訳した人で、これって偉業だと思うんですね。そのときに初めて文化と文化の出会いがあった。そのフレッシュな出会いの場で生まれた日本語という意味では、記念碑的な日本語です。日本語がたどってきた生命の歴史みたいなものの一ページとして、味わいがあるかなと思って入れてみたんです。今の人には書けない日本語だと思うんですよね。たとえば、『源氏物語』を訳すことはできるけど、書くことはできないですよね。作中の日本語が当時の話し言葉にかなり近いそうなので。

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