林:そうなんですか。

齋藤:あんな言葉で話せるのかなと思いますけどね。一方で、十返舎一九の『東海道中膝栗毛』なんか、江戸時代の作品ですけど、いまの人がするような会話の仕方をしてるので、読みやすい面もあるんです。

林:このあいだテレビで見たんですけど、1900年のパリ万博に芸者さんを連れていった女将さんの声が偶然録音されていたみたいで。「足にまめこしらえちまってサ」とか、いまのしゃべり方と同じでびっくりしちゃいました。しかし江戸時代には本当に「○○でござる」って言ってたそうですね。これまで疑ってたんですけど。

齋藤:福沢諭吉の『福翁自伝』は口述筆記なんですが、口調が残ってますよね。息づかいもわかるし、語彙も、素読で書き言葉の訓練ができてるので、話し言葉と書き言葉が混ざった、いい着地点という感じがしますね。

林:先生のこの本にも載ってましたけど、『氷川清話』(勝海舟)も、会話体に近いですよね。「西郷と大久保との優劣は、ここにあるのだヨ。西郷の天分が極めて高い所以(ゆえん)は、実にここにあるのだヨ」とか。

齋藤:お父さんの勝小吉の『夢酔独言』という本もけっこうおもしろくて、小さいころの思い出を書いたんですね。息子の勝海舟は教養があるんですけど、勝小吉は暴れん坊で、「どこそこの子どもをやっつけてやった」みたいな文体で勢いがあって、口語調のいい感じが出てるんです。それと『坊っちゃん』(夏目漱石)の冒頭はかなり似てる感じがしますね。

林:そうですか。「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている」という部分ですね。漱石は当然読んでたんじゃないですか。

齋藤:かもしれないですね。漱石はいろいろ読んでますからね。

林:私は去年『李王家の縁談』という本を書いて、「梨本宮伊都子妃といえば、美しいだけでなく聡明で卒直なことで知られている」という書き出しだったんですが、これはレイモン・ラディゲの『ドルジェル伯の舞踏会』の書き出しなんです。でも、誰もそれに気づいてくれなかったんですよ。「教養あるんだぞ」という感じで出してみたのに(笑)。

齋藤:それは残念ですね(笑)。

(構成/本誌・唐澤俊介 編集協力/一木俊雄)

週刊朝日  2022年7月15日号より抜粋