林:ほんとにそう思います。先生もおっしゃってますけど、日本の古典って、音読しなきゃわからないというのはありますよね。私いま『平家物語』の超訳というか物語化をやってまして、何年か前には『源氏物語』(『六条御息所 源氏がたり』『小説源氏物語 STORY OF UJI』)をやったんですが、プロが朗読しているCDを聴くことから始めたんです。あれは女房たちが女主人に読み聞かせたわけですよね。

齋藤:そうです。書物って昔はそんなに共有されてなくて、貴重なものですから、誰かが読み上げたりしてたんですね。音読すると、書いた人のリズムとかセンスが肉体化される感じがしますよね。

林:文語体は声に出して読まなきゃダメだと思います。音読って、いま授業でやってるんですか。

齋藤:僕の授業ではわりと音読してもらうようにしてるんですが、漢文が入試科目にならなくなってきて、軽視されるようになったように思います。漢文の書き下し文(漢文を日本語の語順に書き直した文)が、日本人の言語感覚の骨格部分をつくっていたような気がするんですけどね。

林:漢文って声に出して読むとおもしろいですよね。私が4、5年前に新聞で連載していた小説のなかで、主人公が中国人のインテリの女性と恋愛するという設定で、彼女が愛の漢詩を彼に贈るというシーンをつくったんです。ラブレターを漢詩でつくるっていいと思いませんか。

齋藤:僕の高校のときの先生は、たしか1年生のとき全員に漢詩をつくらせましたね。すごくいい授業でした。

林:先生はご存じだと思いますけど、文科省が「いまの国語の授業は実社会に出て役に立たない。実学重視にすべきだ。国語の授業に文学作品は必要ない」と言いましたよね。結局、撤回しましたけど。ビジネスレターの書き方なんて、国語でやることじゃないですよね。

齋藤:文学国語と論理国語を分けて選択制にするのが、僕はいちばんよくないと思いますね。たとえば、三島由紀夫の文章は小説だけれども、非常に論理的で、二つに分けるというのが、国語観としてはもったいないと思います。

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