がんになるまでは、酒もたばこものまずに、禁欲的に生きてきた。シンガーとして、喉を大切にするためでもあった。

「でも、健康に気遣ったから、病気にならずに過ごせるかといったらそうじゃなかった。禁欲生活を送っていても、がんになるときはなるんです。遺伝子レベルの話なら、抵抗してもしょうがない。それ以来、好きに生きていこうという気持ちになりまして。最近は、すっかり場当たり的に日々を過ごしています(笑)」

 バンドが長く続いた秘訣を聞くと、「アマチュアのノリで作ったことが良かったんじゃないかな」と言いながら、「でも、いちばん大きいのは、時代が変わったことでしょうね」と静かに続けた。

「僕らがデビューした50年前は、バンドなんて、3年以上やるものじゃないと誰もが思っていた。当時は、コンサートに人が大勢集まるようなことも一般的ではなかったんです。当時の娯楽といえば、寄席に行くとか、奇術館やサーカスのように、『あっ』と驚く何かを観に行くとか……。そのほうが一般的で、オペラやクラシックでもない歌を、わざわざ聴きに行くことが珍しかった。クラシックを楽しむためには、ある程度の教養が必要で、歌手や演奏者にテクニックが伴わないと、『価値がない』とみなされる。それがいつからか、歌のうまさや高度な演奏を求めるのではなく、ライブの雰囲気を楽しみたい人たちが増えてきた。この50年で人類がいちばん変わったところはそこなんじゃないですか(笑)」

 財津さんがデビューした当時、ポピュラー音楽は、ラジオやテレビから流れてくるもの、あるいは、ファンがレコードを購入して家で聴くもののどちらかだった。それが、70年代を境に、コンサートの雰囲気を楽しむ層が増えていき、財津さん自身、コンサートを開催することがチューリップというバンドを続ける原動力になっていった。

「今年で74歳になる僕が、50周年ツアーで全国を回るなんて、ある種不自然なことだと思うんです。これが他人事だったら、『やめたら?』って言いますよ(笑)。でも、そのプロジェクトの中にいる人間としては、何か楽しいことがあるんじゃないかなという気がするし、やる気を出して頑張ってくれているスタッフや、『行こうよ』なんて誘い合ってくれる往年のファンの人たちを思うと、『老体に鞭打ってみるか』となる。昔の思い出って、妙にいいことばかりが残っているじゃないですか。僕らのコンサートは、その良い思い出を確認するために、足を運んでくれる人も多いと思うんです。青春時代のかけがえのない刷り込みがあって、普段、『若返りたいな』と思っている人が、たとえ錯覚でも、若返ることができる場所なんじゃないかって(笑)」

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