瀬戸康史 [撮影/東川哲也(写真部)、ヘアメイク/須賀元子(星野事務所)、スタイリスト/小林洋治郎(Yolken)]
瀬戸康史 [撮影/東川哲也(写真部)、ヘアメイク/須賀元子(星野事務所)、スタイリスト/小林洋治郎(Yolken)]
再演にあたり、瀬戸さんのための新曲も用意された [撮影/東川哲也(写真部)、ヘアメイク/須賀元子(星野事務所)、スタイリスト/小林洋治郎(Yolken)]
再演にあたり、瀬戸さんのための新曲も用意された [撮影/東川哲也(写真部)、ヘアメイク/須賀元子(星野事務所)、スタイリスト/小林洋治郎(Yolken)]

 2005年に俳優デビューし、NHK連続テレビ小説「あさが来た」「まんぷく」、ドラマ「透明なゆりかご」「私の家政夫ナギサさん」などに出演してきた瀬戸康史さん。コロナ禍でSNSのありがたみを感じたと話す。

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「おはようございます」。そうツイッターでつぶやくことから、瀬戸さんの一日は始まる。ツイッターを始めたのは2015年9月。最初は、普通に毎日のことをつぶやくだけだったが、16年4月の地震をきっかけに、朝の挨拶が習慣化した。

「僕がまだ地元の福岡に住んでいた05年に、割と大きな地震(福岡県西方沖地震)を経験したんです。一時的に家族と連絡が取れなくなったり、道がガタガタになったりして……。当時高校生だった僕は、すごく怖い思いをして、『穏やかな日常は、当たり前なんかじゃない』ってことを痛感しました。上京して、ツイッターをやるようになってから熊本の地震があって、自分が震災にあったときの気持ちが克明に蘇りました。『おはよう』という当たり前のように交わしていた挨拶が『無事に新しい日が迎えられた』という証しで、すごく大切に思えたことを。以来、『おはようございます』とつぶやくことを毎日の習慣にしたんです」

 新しい日を迎えられるありがたみ──。このコロナ禍で、さらにそれを実感することになったと瀬戸さんは言う。

「コロナ禍で、SNSに対する意識は変わったかもしれない。それまでは、普通に人と会えていたから、人と人は会って話すことが何より重要で、SNSをそこまで重要なツールだとは思っていなかったんです。でも、いざ対面で人と会うことがままならなくなると、SNSのありがたみにも気づけたし、そこでできることも広がった」

 コロナ禍になる前も、瀬戸さんはSNSに自分で描いた絵をアップしていた。でも、昨年の5月5日、初めての緊急事態宣言下で、ステイホームで時間を持て余している子どもたちのために何かできないかなと考えて、自分の絵を線画であげることを思いついた。

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