小柳ルミ子さん(c)朝日新聞社
小柳ルミ子さん(c)朝日新聞社

 心の支えだった親が亡くなると、たとえどんなに看病や介護をしても、悔いが残るもの。歌手の小柳ルミ子さんに、死別の悲しみから立ち直った経験を聞いた。

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 親が残した手紙のおかげで、死別の悲しみから立ち直れた人がいる。歌手の小柳ルミ子さん(68)だ。母の愛子さん(享年86)が06年12月、福岡市内の病院で亡くなったとき、ルミ子さんはクリスマスディナーショーのリハーサル中だった。

「危篤の連絡を受けたとき、母の枕元に受話器を置いてもらい、『瀬戸の花嫁』を歌いました。亡くなった日の夜のディナーショーでは、会場の後ろに母のための席を用意し、お花を飾りました。私は前日まで福岡にいたんです。(私が福岡を離れたときに亡くなったのは)最後の最後まで私の負担にならないようにと思ったからでしょう。それと『どんな悲しみの中でもステージに立ち、お客さんを楽しませなさい! それがプロよ』と教えたかったのではと思います」

 愛子さんは一人っ子のルミ子さんを歌手にするために、3歳のころからクラシックバレエ、三味線、ジャズダンスなど八つもの習い事をさせた。そして、ルミ子さんが18歳でデビューすると、一転して陰で支える側に回った。コンサートのチケットも自分で手配したという。

 亡くなった翌日の朝、ルミ子さんが病院に駆けつけると、枕元に手紙が残されていた。

(ルミ子、ルミ子が娘で良かった。ルミ子のお陰で幸せだったよ。楽しい人生をありがとう)

 ルミ子さんは今、こう話す。

「母からのこの手紙がなかったら、今でも私は母との別れを引きずって、いろいろな後悔があったと思います。でも、今は手紙を『ルミ子の宝箱』に入れて、時々読み返したり、毎日母に話しかけたりして、母とともに生きています。別れは悲しかったけれど、母との素晴らしい思い出がたくさんあるので、豊かな気持ちでいられるんです」

(本誌・大崎百紀)

<プロフィール>
こやなぎ・るみこ 福岡県出身。1970年に宝塚音楽学校を首席で卒業し、71年に「わたしの城下町」で歌手デビュー。ヒット曲に「瀬戸の花嫁」など。アメブロ、インスタグラムでも発信中。

週刊朝日  2020年12月25日号