サーフィンが好きだった三浦春馬さん(写真:卯都木睦さん提供)
サーフィンが好きだった三浦春馬さん(写真:卯都木睦さん提供)

 30年という短い人生を終えた俳優の三浦春馬さん(享年30)。彼が10代の頃から交流を続けてきたサーフィンの師匠に話を聞くと、テレビ画面では見えなかった彼の素顔が垣間見えた。

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「当時、春馬は中学生、14歳くらいでした。母親が連れてきて、『うちの息子は俳優をやっていて、今度サーフィンの映画の主役が決まったから、サーフィンを教えてやって欲しい』て」

 茨城県出身の三浦さんのサーフィンの師匠でもあり、その後、家族ぐるみで交流を続けてきた、つくば市の卯都木睦さん(53)が、最初に三浦さんと会った時のことをそう話した。卯都木さんと三浦さんの母親が知っている共通の居酒屋を通じてつながったという。

 映画の収録が終わっても、三浦さんは「サーフィンを続けたい」と卯都木さんの元に通い続けた。

「春馬はサーフィンが楽しくて楽しくて仕方がない感じだった。忙しいスケジュールの中、半日でも空くと、前日にラインで『明日は大丈夫ですか』とメッセージがきました。私や3人の息子たちと一緒にサーフィンをするのが、仕事のストレス解消にもなっていたようです」

 三浦さんは地元の中学校を卒業後、東京の高校へ進んだ。この頃は、母親が三浦さんをサーフィンに連れてきていたという。

「海岸で、母親と春馬と待ち合わせて、サーフィンをし、終わったら一緒に食事をすることもありました。とても仲のいい母と息子でした。一人っ子でね」

 今から約10年前、三浦さんは外車を購入し、それで茨城まで来るようになったという。サーフィンをするのはいつも鉾田市の海岸。三浦さんは、スピードが出て、波乗りが難しいショートボードを使っていた。身長、体重に合わせて、プロが板を削ったオリジナルのサーフボードを持っていた。

「夜から撮影なのに昼間にサーフィンに来るんです。車には台本を積んでいることもありました。だから帰りは、私が運転して、彼には寝てもらっていました。40~50分でも寝られれば、撮影でもリフレッシュして臨めると言ってました」

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上田耕司

上田耕司

福井県出身。大学を卒業後、ファッション業界で記者デビュー。20代後半から大手出版社の雑誌に転身。学年誌から週刊誌、飲食・旅行に至るまで幅広い分野の編集部を経験。その後、いくつかの出版社勤務を経て、現職。

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