五輪マラソン「札幌変更」 瀬古利彦、モスクワ不参加よりショックだった? (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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五輪マラソン「札幌変更」 瀬古利彦、モスクワ不参加よりショックだった?

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鮎川哲也週刊朝日
瀬古利彦(せこ・としひこ)1956年生まれ。三重県出身。日本長距離界、マラソンブームを牽引してきた第一人者。高校時代から本格的に陸上を始め、早稲田大学へ進学後、故中村清監督のもと、ランナーとしての才能が開花。現役時代は国内外のマラソンで戦績15戦10勝。現役引退後は指導者として後進の育成に注力。現在は、日本陸連マラソン強化戦略プロジェクトリーダーとして日本代表の強化を担当、また横浜DeNAランニングクラブのエグゼクティブアドバイザーとしてチームを見守る。(撮影/写真部・掛祥葉子)

瀬古利彦(せこ・としひこ)1956年生まれ。三重県出身。日本長距離界、マラソンブームを牽引してきた第一人者。高校時代から本格的に陸上を始め、早稲田大学へ進学後、故中村清監督のもと、ランナーとしての才能が開花。現役時代は国内外のマラソンで戦績15戦10勝。現役引退後は指導者として後進の育成に注力。現在は、日本陸連マラソン強化戦略プロジェクトリーダーとして日本代表の強化を担当、また横浜DeNAランニングクラブのエグゼクティブアドバイザーとしてチームを見守る。(撮影/写真部・掛祥葉子)

THIS WEEK (週刊朝日2020年5月22日号より)

THIS WEEK (週刊朝日2020年5月22日号より)

 現役時代にはストイックな練習姿勢から“修行僧”とも呼ばれ、日本マラソン界を牽引してきた瀬古利彦さん。63歳になった今に迫る。

【瀬古利彦さんの一週間のスケジュールはこちら】

 2007年から始めたのは、東京マラソンのランナーを応援する「マラソン祭り」への参加である。「瀬古利彦とパンキーズ」というビッグバンドを結成し、ゴール地点でランナーを迎えた。

「16年まで10回参加しました。大会前の3カ月間練習し、私もドラムを演奏したり、歌ったりしました。テレビ中継の解説が終わるとすぐにパンキーズに合流し、最終ランナーがゴールするまで演奏しました。海外では選手を応援する文化があって、それをやりたかったんです。やっぱり楽しいことをやりたいんです」

 東京マラソンでゴールする人のためにバンド演奏を仕切るのは瀬古の妻、ランナーを音楽で応援したいという希望を実現したものだ。

 今は3年前から始めた社交ダンスに夫婦で熱中しているという。

「これまで女房にはいろいろと迷惑をかけてきたからね。夫婦がうまくいくためには女房のやりたいことに合わせないとね。二人で何かするのも楽しいですよ。今度発表会があるから、それを目標にしています」

 とほほ笑み、愛妻家の横顔をのぞかせた。ただ、やるからには真剣にやる、という求道者的一面も見せた。修行僧としての魂は失っていないようだ。

 思えば現役時代、絶好調の時期に80年のモスクワ五輪を迎えた。しかし、ボイコット……。

「あのときは予想していたので、それほどショックはなかったんです。モスクワ五輪に出られなくても、福岡国際、ボストンと大会があるので、気持ちを切り替えて準備をしました」

 80年12月の福岡国際マラソンでは、モスクワ五輪の覇者ワルデマール・チェルピンスキーを抑えて優勝、大会3連覇を記録した。81年4月のボストンマラソンは大会記録で優勝を飾る。80年代前半の瀬古の雄姿は、人々の記憶に刻まれている。

「ダメだとわかったら次を考える。私の信条は、悪いことはすぐ忘れることです」


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