3月の日本オープンで決勝の演技を終え、歓声に応える平野歩夢 (c)朝日新聞社
3月の日本オープンで決勝の演技を終え、歓声に応える平野歩夢 (c)朝日新聞社
15歳で出場した2014年ソチ五輪スノーボード男子ハーフパイプで、銀メダルを獲得した平野歩夢(左) (c)朝日新聞社
15歳で出場した2014年ソチ五輪スノーボード男子ハーフパイプで、銀メダルを獲得した平野歩夢(左) (c)朝日新聞社

 2020年東京五輪で活躍が期待される選手を紹介する連載「2020の肖像」。第14回は、前例のない二刀流に挑む平野歩夢(21)。スノーボードの男子ハーフパイプでは、五輪2大会連続で銀メダルを獲得。2018年秋、20年東京五輪の新競技・スケートボードのパークに挑むことを表明した。両種目とも中途半端になってしまうリスクは小さくない。それでも挑戦する理由を、朝日新聞社スポーツ部・吉永岳央氏が探る。

【写真】まだ顔には幼さが。2014年ソチ五輪で表彰台にあがる平野歩夢選手

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 かつてない挑戦の現在地は、必ずしも順風満帆ではない。11月下旬にあったスポンサーのイベント。少し苦笑いを浮かべながら、平野は口を開いた。

「スノーボードと比べると、大した結果はついてきていないんですけど……」

 実際、9月にブラジル・サンパウロで開催された世界選手権は17位で決勝に進めなかった。11月にリオデジャネイロであった東京五輪予選対象大会の今季開幕戦「STUオープン」も、19位で予選敗退。輝かしい実績を残してきたスノボのようには滑れていないのが現状だ。

「残り時間が少ない中、スノーボードをしていた時よりもハードなスケジュールで、分からないことも多い。そういう意味では、思ったよりもすごく大変な部分がいっぱいあります」

 スケボーに出会ったのは、4歳の時だった。スノボを始めたのも同じ時期。父・英功さん(48)はプロサーファーをめざして脱サラした過去を持つとあって、「横乗り」と称されるスポーツを始めたのは自然な流れだった。

 拠点はずっと、父が地元の新潟県村上市で運営に携わる国内最大級のスケートパークだ。スノボの遠征にも昔からスケボーの板を持参し、空き時間に滑っていた。そうやって、2種類の板に長く関わってきた。

 雪上での活躍はめざましかった。13年、選手たちの間では五輪以上に重要視されることがある世界最高峰のプロ大会「ウィンターXゲームズ」に中学2年で初出場し、2位。14年ソチ五輪では銀メダルに輝き、日本の冬季五輪史上最年少となる15歳で表彰台に上がった。一気に全国区となった後も快進撃は続く。16、18年にはXゲームズを制覇。同年の平昌五輪でも銀メダルを獲得した。

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