聖飢魔IIと劇団☆新感線は、おたがい共感できることが多かった。
「エンタテインメントはかっこよく、でもおもしろく。その考えが同じだった。彼らの芝居もわれわれの黒ミサも客席との一体感を大切にしている。観にくるだけの客は許されない。黒ミサに参加しなくてはならない。会場に来たからには、ミサをつくるメンバーとしてそこにいなくてはならない」
『うた髑髏』は、閣下が劇団☆新感線の芝居のテーマ曲や劇中歌として書いた12曲が収められている。
「劇中歌はその芝居の物語に沿って書かれているので、ほとんどはサイズが短い。そこに歌詞を書き足し、フルサイズにして、アレンジし直してレコーディングを行ったのが『うた髑髏』だ」
デーモン閣下は、人間界でのキャリアを通して、芝居と深い関係を築いてきた。
「魔暦2年(2000年)、聖飢魔II解散後のソロ活動期に入って数年後、吾輩は人間界のアーティストとしての活動にいろいろと疑問を抱くようになっていた。聖飢魔IIでも、ソロでも、吾輩は音楽を媒介として、問題提起のメッセージを社会に届けていたつもりだ。ところが、吾輩がイメージするリアクションは極めて少なかった。送り手と受け手にずれが生じていたのだ。何年もずれを感じながら歌い、がまんは限界を迎えた。デーモンとしての活動すべてをやめようと思った」
閣下はアメリカ西海岸のロサンゼルスに居を移す。
「映画の勉強をしようと考えたのだ。だからロサンゼルス、ハリウッドだった。撮影現場の手習いからやってみようと思ったわけだ」
魔暦4年(2002年)、日本でのスケジュールを整理しての渡米だった。レギュラーの仕事も降板。ところが、一つキャンセルができないミュージカルの出演があった。配役も決まり、閣下の出演を前提に脚本も書かれていたのだ。
「鴻上尚史氏が脚本を書いた『シンデレラストーリー』というミュージカルだ」
しかたがなく、この舞台の日程の間は日本に戻った。