野村克也「生まれ変わってもサッチーと?」の答えは (2/4) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

野村克也「生まれ変わってもサッチーと?」の答えは

このエントリーをはてなブックマークに追加
週刊朝日
野村克也(のむら・かつや)/1935年、京都府生まれ。54年、テスト生として南海ホークスに入団。戦後初の三冠王になり、歴代2位の通算657本塁打を放った。70年に南海で監督兼選手に。ヤクルト、阪神、楽天で監督を歴任し、ヤクルトでは3度の日本一に輝いた。今春、2017年12月に急逝した妻・沙知代さんとの日々を振り返った『ありがとうを言えなくて』(講談社)を出した (撮影/写真部・加藤夏子)

野村克也(のむら・かつや)/1935年、京都府生まれ。54年、テスト生として南海ホークスに入団。戦後初の三冠王になり、歴代2位の通算657本塁打を放った。70年に南海で監督兼選手に。ヤクルト、阪神、楽天で監督を歴任し、ヤクルトでは3度の日本一に輝いた。今春、2017年12月に急逝した妻・沙知代さんとの日々を振り返った『ありがとうを言えなくて』(講談社)を出した (撮影/写真部・加藤夏子)

野村克也さん (撮影/写真部・加藤夏子)

野村克也さん (撮影/写真部・加藤夏子)

「この人、監督さんなのよ」と紹介されましたが、沙知代はピンとこなかったみたいでした。沙知代は店の電話を借り、息子のダンに聞いたのです。

「野球の野村さんって知ってる?」

「すごい人だよ」と言われ、驚いたらしい。それで私を見る目が変わったんです。

 ダンも弟のケニーも野球少年というので、その夜の試合に母子を招待しました。沙知代は勝利のお守りをくれました。で、本当に勝ったんです。しかも私のホームランというおまけまでついて。

 そんなこんなで付き合い始めたんですが、あの試合に負けていたらどうなっていたでしょうか。運命って不思議なものです。

 そのとき私の最初の結婚生活は、すでに破たんしていました。ただ、形としては不倫関係ですから、南海をクビになったときにはずいぶん叩かれましたね。

 7年後、シーズン終了まで2試合を残して、野村さんは南海ホークスの監督を解任される。前年もこの年も2位で、成績というよりは、沙知代さんの行動が問題視されたという。

 後で知ったんですけど、沙知代はグラウンドに来て、

「もっとしっかりしなさいよ」
「あんたのせいで負けたのよ」

 なんて選手らに言っていたらしい。思ったことを黙っていられないんです。素人なのに、監督の私でも口にできないことをズバズバ言ってしまう。選手やコーチの間では、それは反発が広がっていたようです。

 クビを言い渡されたときの沙知代の反応は見事でした。

「あらそう、東京に行きましょ」

 即決し、小さかった克則と3人で車に乗り、東名高速で東京に向かいました。

 何のアテもなかった。でもあのときも、

「なんとかなるわよ」

 と力強く言ったのを覚えています。

 味方をしてくれた南海のオーナーが、ロッテのオーナーに私を雇うように話をつけてくれました。監督までやって、選手に戻るのは少し抵抗がありましたが、オーナーの気遣いを無にするわけにはいきません。

――ひとまず現役生活を続けられたが、ロッテでは決して優遇されたわけではなかったという。翌年、誕生したばかりの西武ライオンズに移籍。さらに2年間、45歳まで現役を続けた。


トップにもどる 週刊朝日記事一覧

おすすめの記事おすすめの記事
関連記事関連記事

あわせて読みたい あわせて読みたい