実はONを何にたとえればいいか悩んでいたら沙知代が、

「ひまわりがいいわよ」

 と言ったんです。ぴったりの花を思いついてくれた。

――野村-野球=ゼロ、と自らを評する。「生涯一捕手」として野球ひと筋に生きてきた。

 野球を始めたのは中学生のときでした。当時のエースに、

「おまえは胴長短足だから、とても投げやすい」

 と言われたんです。鏡を見たら、たしかにそのとおりでした。

 実際にやってみたら、試合をコントロールできる、こんなに面白いポジションはない、と思いました。

 キャッチャーをやっていていちばんよかったのは、観察眼が鍛えられたことですね。どういうピッチャーが使えるか、どう接してどう言うと張り切るか。人を判断する目や心の見抜き方が身に付きました。

 ストライクさえ放らせたら、私のリードで打ち取れる。そんな「過信」を抱くほどでした。

 後年、「野村再生工場」などと言われ、監督でそれなりにやれたのも、キャッチャーとして身に付けた観察眼のおかげです。

 もうひとつ鍛えられたのは、忍耐力です。たとえば「外角低めに」とピッチャーに求めても、思うような球はなかなか来ません。でも、文句を言っても始まらない。じっと我慢するしかないんです。

 この忍耐力は沙知代との結婚生活で大いに役立ちました。何を言われても言い返したことはありません。いっしょになったのも縁ですから、相手の性格をよく理解して、そういうもんだと受け止めるしかない。

 外でもウチでも言いたい放題でしたけど、俺のために言ってくれてるんだから、言わせておけばいいと思っていました。忍耐力はキャッチャーの特性です。結婚生活が長く続いたのも、キャッチャーをやっていたおかげかもしれません。

 いつかまた、空の上で沙知代さんと再会するときが来る。そのときは、どんな言葉をかけるのか。

「おい、なんで先に逝ったんだよ。あれだけ俺をひとりにするなって言ったのに」

 かな。まずはひと言、文句を言ってやらないと。

 まあ、あいつのことだから、

「ごめんね」

 なんて絶対言わないでしょうがね(笑)。

(聞き手・石原壮一郎)

週刊朝日  2019年7月5日号