野村克也「生まれ変わってもサッチーと?」の答えは (1/4) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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野村克也「生まれ変わってもサッチーと?」の答えは

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野村克也(のむら・かつや)/1935年、京都府生まれ。54年、テスト生として南海ホークスに入団。戦後初の三冠王になり、歴代2位の通算657本塁打を放った。70年に南海で監督兼選手に。ヤクルト、阪神、楽天で監督を歴任し、ヤクルトでは3度の日本一に輝いた。今春、2017年12月に急逝した妻・沙知代さんとの日々を振り返った『ありがとうを言えなくて』(講談社)を出した (撮影/写真部・加藤夏子)

野村克也(のむら・かつや)/1935年、京都府生まれ。54年、テスト生として南海ホークスに入団。戦後初の三冠王になり、歴代2位の通算657本塁打を放った。70年に南海で監督兼選手に。ヤクルト、阪神、楽天で監督を歴任し、ヤクルトでは3度の日本一に輝いた。今春、2017年12月に急逝した妻・沙知代さんとの日々を振り返った『ありがとうを言えなくて』(講談社)を出した (撮影/写真部・加藤夏子)

野村克也さん (撮影/写真部・加藤夏子)

野村克也さん (撮影/写真部・加藤夏子)

 もし、あのとき、別の選択をしていたら──。著名人が人生の岐路に立ち返って振り返る「もう一つの自分史」。今回は、野村克也さん。2017年12月に急逝したサッチーこと妻・沙知代さんについて、今何を思うのか。もし彼女と結婚していなかったら……。波瀾万丈だった結婚生活と野球人生について、胸の内を明かしました。

【写真】インタビューに答える野村克也さん

*  *  *
 あの日、様子が変だったので背中をさすってやりました。

「大丈夫よ」

 いつものように強気な口調で言ったのが、最後の言葉になりました。

 それから1年半が過ぎ、今は沙知代がいつも座っていたダイニングの椅子でテレビを見るようになりました。時々、何となく隣にいるような錯覚を覚えては、我に返るんです。

「ああ、もういないんだな」とね。

 寂しい、というのとはちょっと違う。がらんどう、という感じです。そんな状態がずっと続いているのです。

「生まれ変わっても、沙知代さんと結婚しますか?」

 そうたずねられたら、正直、勘弁してほしい、と答えるでしょうね(笑)。

 世間では「悪妻」のイメージが強いかもしれません。まあ夫としては私も悪いほうだった、と思います。だから、釣り合いがとれた夫婦だったのです。

 まず、あんなに頼りになる女性はいませんでした。いつも強気で、頼りになる沙知代がいたからこそ、何度もあった苦難を乗り越えられたのです。

「なんとかなるわよ」

 それが得意のセリフでした。あいつにそう言われると、本当にそんな気になったし、現実に大丈夫だったのです。

 俺より先に逝くな、と何度も言ってたんですけどね。

 野球ではあらゆるリスクを想定して行動してきたんですが、あいつのほうが先になるとは……。こればっかりは、何の準備もしていませんでした。不意打ちを食らったようなものです。

――ふたりが出会ったのは1970年8月。南海ホークスの選手だった野村さんはその年から監督も兼任していた。

 後楽園球場の試合を前に、宿舎の近くの店で食事をしていました。そこに日焼けした女性が入ってきた。それが沙知代です。


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