輪島功一が焼き鳥店ではなく“だんご店”を始めた理由は? (2/5) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

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輪島功一が焼き鳥店ではなく“だんご店”を始めた理由は?

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石原壮一郎週刊朝日
輪島功一(わじま・こういち)/1943年、樺太生まれ。25歳のときプロボクサーに。3年後、世界タイトルに初挑戦し、王座獲得。タイトルを奪われても、2度にわたって世界王座に返り咲く。そのがむしゃらな戦いぶりは見る者を熱狂させ、「炎の男」の異名をとった。引退後は「だんごの輪島」を開業。現在は東京・西荻窪で「輪島功一スポーツジム」の会長として後進の育成に努めている (撮影/岡田晃奈)

輪島功一(わじま・こういち)/1943年、樺太生まれ。25歳のときプロボクサーに。3年後、世界タイトルに初挑戦し、王座獲得。タイトルを奪われても、2度にわたって世界王座に返り咲く。そのがむしゃらな戦いぶりは見る者を熱狂させ、「炎の男」の異名をとった。引退後は「だんごの輪島」を開業。現在は東京・西荻窪で「輪島功一スポーツジム」の会長として後進の育成に努めている (撮影/岡田晃奈)

輪島功一さん (撮影/岡田晃奈)

輪島功一さん (撮影/岡田晃奈)

 勝ち出すと現金なもんでね、周囲の目も変わってくる。コーチがついて指導してくれるようになったし、ジムの後援会の人が、高い肉を食わせてくれたりね。自分だって、もしかしたら世界チャンピオンになれるんじゃないかって思いはじめたよ。

 ただ、世界戦に挑戦するには、世界ランキングに入らないといけない。そしたら東洋チャンピオンと対戦する話を会長が持ってきた。

 勝てば世界ランク入りできるってね。でも、ノンタイトルでノーギャラだって言うんだ。ちょっと迷ったけど、「やります」って言ったよ。会長、びっくりしてたね。

 俺も日本チャンピオンだったから、そりゃねえよって話ではあるんだ。それでもやらなきゃチャンスはつかめない。あんとき断ってたら、どうなってたかなあ。チャンスなんて人生でそう何度もあるもんじゃないからね。

 目先の金なんてどうでもよかった。こっちは年寄りボクサーだから時間がない。とにかく必死だったんだよ。

――その試合にKO勝ちした輪島は勢いを得て、1971年10月にカルメロ・ボッシ(イタリア)と戦い、判定勝ちで世界ジュニアミドル級のタイトルを獲得する。実は東京に出てくるまでの少年時代も闘いの連続だったという。

 生まれたのは樺太。敗戦で北海道に引き揚げてきた。オヤジは向こうで材木の仕事を手広くやってたんだけど、引き揚げるときのゴタゴタで全財産を失っていた。

 旭川の北のほうにある士別って町で暮らしたんだけど、冬は零下30度、35度になるところでさ。家の中で凍死してもおかしくはなかった。小学校6年のとき、漁師をやってる親戚のとこへ養子にいったんだ。「腹いっぱい食えるぞ」って言われてね。

 夜中は船に乗り、朝方帰ってきて、そのまま学校へ。ふとんで寝た記憶はあんまないな。授業中はほとんど寝てたね。だけど成績はけっこうよかったんだぜ。5、5、5、4とかだった。ホントだよ。

 振り返ればつらい生活だけど、そんなふうに思ったことってなかったなあ。恨み言言ってもしょうがない。そのときにやれることをやればいいんだ、誰にも負けないぐらいがんばればいいんだ、ずっとそう思ってやってきた。


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