会見の冒頭から涙を見せた稀勢の里 (c)朝日新聞社
会見の冒頭から涙を見せた稀勢の里 (c)朝日新聞社

「引退します、と言わなきゃいけない状況に追い込まれた、というか、自分で自分を追い込んでしまった。自爆、という感じがします」(相撲記者)

 稀勢の里が引退した。新横綱として迎えた2017年春場所の13日目の日馬富士戦で左大胸筋部分断裂という大けがを負ったにもかかわらず、千秋楽まで相撲を取り、優勝。翌場所も出場したが途中休場となり、以後、出場しては休場というパターンを繰り返す。結果として横綱在位12場所で皆勤は2場所だけ。「親方衆からは『あのけがを治すには1年以上休まないといけない。一番怖いけがなんだ』という声が出ていました」(角界関係者)

 稀勢の里が負ったけがは、角界では番付が落ちるのを覚悟して長期休場しなければ治らない大けがだと認識されていたのだ。番付の落ちない、負ければ引退という最高位に上り詰めた最初の場所で、そんなけがを負ってしまった稀勢の里。横綱人生のスタートが、実は終わりの始まりだった。その間の思いを彼は会見で「潔く引退するか、ファンの人たちのために相撲を取るか、いつも自問自答していた」と語った。

 会見で「辞めたい、と言うまで待つつもりだった」と口にした田子ノ浦親方は元兄弟子。先代(元鳴戸親方、元隆の里)が亡くなって師匠の立場になったが、現役時代は平幕力士だ。

「横綱になった弟弟子に強く言えませんからね。そんな師匠を含め、周りの誰もが“19年ぶりの日本出身横綱”で人気絶大の稀勢の里の首に鈴をつけたがらなかった、という構図もありました」(ベテラン記者)

 そもそも横綱にすべきでなかった、という辛口の指摘もあったが……。

「いやいや、新十両と新入幕は貴乃花に次ぐ年少記録の稀勢の里は、しこ名のとおり稀な才能の持ち主でした。その証拠に、大関になる前から、上位のモンゴル勢が『稀勢に勝ったやつが優勝』と言っていたほどマークされていましたから。モンゴル勢にライバル視されてた日本代表のお相撲さんだったんですよ」(同前)

「『一片の悔いもありません』と言い切った引退会見は感動的でした。会見した人間が最初から泣いてしまうなんて、見たことないです」と相撲記者に言わしめた稀勢の里。横綱として幾つものワースト記録を更新してしまったが、すべてファンを意識し、逃げない、という彼の美学があったからこそのこと。日本人の琴線に触れる横綱であったことは間違いない。

(岸本貞司)

週刊朝日  2019年2月1日号