林:(目に涙をためて)お幸せな最期だったんですね。でも、それは他人が言うことで、娘としてはもっと長生きしてほしかったでしょうね。

大竹:そうですね。自宅で看取るというのは、悩んだりもしたんです。病院に行ったらもっと楽だったのかもしれないとか。でも私は「やっぱり自宅で」と思っていたので、みんなで頑張りました。母にとってもよかったかなと思います。

林:私の母は去年101歳で亡くなったんですが、その前は施設にいたし、山梨の病院で死なせちゃったから間に合わなかった。

大竹:101歳まで生きられたってすごいじゃないですか。立ち会うとか立ち会えなかったとかいうことは関係ないと思います。どれだけ思ってあげてるかが大事で、みんな一人で生きて一人で死んでいくんだし。

林:でも、やっぱり最期は可哀想でした。

大竹:どうしてですか?

林:(チューブに)つながれていて、あまり意識もなかったし。

大竹:ああ、今の病院だとそうなってしまうのかもしれませんね。うちは何年か前から担当の老人医学の先生に2週間に1回診ていただいてたので、「自然にやっていきましょう」ということは、ずっと前から話していて、それはそのとおりにできました。でも、真理子さんの場合は東京と山梨で離れてるわけだから、仕方なかったと思いますよ。

林:私は大竹さんのエッセーを読むたびに「なんて幸せなご一家なんだろう」といつも思ってました。

大竹:私はきょうだいも5人と多かったしね。4人姉妹だったので、助かりました。時々はヘルパーさんにお願いをする経済的な余裕もあったから、母は確かにすごく幸せだったと思いますね。

林:ご自分が書いてるエッセーで静かに発表するというのもいいですね。遺族が望まない形で公表されるよりも、ずっといいと思う。

大竹:母はべつにこういう世界の人じゃないし、ただ「私の母」ということだけだったので。

林:私の母もふつうのおばあさんだったから内緒にしてたんですが、朝日新聞が訃報欄に載っけてくれて、それがちょっとうれしかったんです。

大竹:「載っけてくれて」ってカワイイです(笑)。

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