篠原:そうなんですよね。オウム真理教の地下鉄サリン事件もあのころ(95年)ですし。

林:「小室ファミリー」がヒット曲を連発してたころですよね。

篠原:阪神・淡路の大震災が起きたとき、たしか仕事に行く途中だったと思う。「小室ファミリー」がブームになった、まっただ中のころで、すごく忙しいときでした。私自身、20代になったばかりのときで。

林:あのころ、女優さんになると思ってました?

篠原:1ミリも思ってなかったです。歌が好きだったので、歌手でいきたいと思っていて、演技は絶対やらないと思ってました。それでも当時、「輝く季節の中で」というドラマに出させていただいたことがあって。振り返るとそのときは、演技の楽しさがぜんぜんわかっていなかったな、と思います。歌は今でもやれるものならやりたいと思うぐらい好きなんですけどね。

林:演技が注目されたのは何からですか。

篠原:20代前半のときに「ナニワ金融道2」(96年)というフジテレビのドラマにゲストでちょこっと出させていただいたことがありました。それは演出の石坂(現・宮本)理江子さんと、山口雅俊さんというプロデューサーが手掛けた作品でしたが、何かのシーンで演技をしたときに、主演の中居正広さんと石坂さんと山口さんが「篠原、今すごくよかったよね」みたいな話をしてるのが聞こえちゃったんですよ。なおかつ、そのことを私に直接伝えてくれて。それでちょっとうれしくなっちゃって、「演技、やってみようかな」という気になったので、言ってみれば調子に乗っちゃったのがきっかけです(笑)。

林:あのあと、私の原作の「anego[アネゴ]」(05年)で主役をやっていただきましたけど、視聴率がすごくよくて。

篠原:ほんとに、ほんとに、素晴らしい作品でした。

(構成 本誌・直木詩帆)

週刊朝日  2018年8月17-24日合併号より抜粋

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