林:私、だからパソコン使わないの。パソコンだとこっくりさんが来ないけど、手書きだと来るんです。いいことおっしゃる。

藤:そして1年後の母の命日(昨年11月7日)に発行できたんです。見城さんには「赤裸々に書け」と言われてたから、そのためには小さいときのこともちゃんと調べなきゃいけなくて、父(作家の故・藤原審爾さん)のお弟子さんとか、母の親戚に聞きに行ったり、私が中学生のころから母が倒れる年までの手帳があったので、それを見たり、あとはパスポートとか、(雑誌の古い切り抜きを取り出して)林さんと初めて会ったときの記事とか、香港に行ったときの写真とか……。

林:あ、若い! 私たち、女学生のようじゃないですか(笑)。藤真利子さん、ほんとに美しい。

藤:母がファイルしてくれてたの。そして(大学ノートを何冊か取り出して)これが介護ノート。母が倒れて、病院からうちに連れて帰ったその日から亡くなる日までの介護ノート。これはその一部で、全部で65冊あるの。「食事」「飲水」「熱」「血圧」「脈」「尿」……。

林:(パラパラと見て)「便 150」って書いてあるけど、在宅で測ってるわけ?

藤:うん。医療処置で管で尿瓶に取るから、量が測れるの。

林:すごい。女優さんしながらよくやりますね。たとえば夜、お仕事の帰りにちょっと飲んだとき、「イヤだな、また帰ってママの面倒見るの」とか思わなかった?

藤:ぜんぜん思わなかった。というか、ヘルパー代が結構なものなんですよ。うちは11時から夜の7時までが基本なんだけど、私が仕事のときに早く来てもらったり、外で食事して帰りが遅くなったりすると、その分ヘルパー代がかかるじゃない。だから仕事のとき以外は、なるべく夜は外に出ないようにしていた。

林:観月ありささんの結婚式でバリ島に行ったら、火山が爆発して帰れなくなって大変だったんでしょう?

藤:そう、あれが顕著な例。母は脳梗塞の後遺症で右半身不随で、口がきけなくて、「あーあー」とか「うーうー」とか言うのを、私たちが読み取るわけよ。あのときは母の状態がよくて、手を振って「行け、行け」みたいなサインをしたのね。それと、ヘルパーさんたちも「行かせてあげよう」という空気になって、みんなが協力してくれたの。それでお言葉に甘えて行ったわけ。

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