夫:09年に息子が中学受験で第1志望に合格したんです。そのとき彼女がふと、「少し寂しい。私にもあれくらい一生懸命になってくれたらいいのに」って漏らしたことがあった。
妻:そうだっけ。
夫:無意識っぽかったから、野宮さんは覚えてないかもしれない。でも僕はすごくショックだったんです。
――息子と担当アーティストにかかりっきりで、大切なパートナーに寂しい思いをさせていたのか、とハッとした。
夫:野宮さんはピチカートの解散後、音楽的に自分の居場所をなかなか見つけられずに、ひそかに苦しんでいたんだと思うんです。それが「寂しい」という言葉になったんだと思う。
妻:私はシンガー・ソングライターではないので、常にいい楽曲を探しているんです。あのころもいろんなアーティストとコラボしたり、いろいろやってみていました。
夫:ピチカート・ファイヴというバンドは、完全にプロデューサーでもある小西康陽さんが監督で、野宮真貴は女優という関係だった。いい監督を失った女優は、やっぱり迷うんですよ。自分で新しいフォーマットを見つけ出すまでは、なかなか難しかったみたいで。