経帯麺のレシピを記した中国の書物「居家必要事類」(写真:新横浜ラーメン博物館の資料より)
経帯麺のレシピを記した中国の書物「居家必要事類」(写真:新横浜ラーメン博物館の資料より)
再現したしいたけ汁の「経帯麺」(写真:新横浜ラーメン博物館提供)
再現したしいたけ汁の「経帯麺」(写真:新横浜ラーメン博物館提供)
梅昆布がベースの汁の「経帯麺」(写真:新横浜ラーメン博物館提供)
梅昆布がベースの汁の「経帯麺」(写真:新横浜ラーメン博物館提供)

<日本で最初にラーメンを食べたのは水戸黄門こと徳川光圀>

【噂の「経帯麺」はこちら】

 こう言われてきたラーメンのルーツを巡る説が、大きく変わるかもしれない。新横浜ラーメン博物館が展示内容のリニューアルに合わせて、「日本最初の中華麺が室町時代にあったことが資料で確認された」と7月14日に発表した。一気に約200年もさかのぼることになる。

 資料の発見者は、そば・うどん店向けの食品商社「イナサワ商店」(東京都)の稲澤敏行会長だ。稲澤氏はダッタンそばを広めた人物として知られる。そば料理の歴史について調べるうち、足利義満が京都の相国寺に設けた施設「蔭涼軒(いんりょうけん)」の僧侶が記した「蔭涼軒日録」に注目。長享2(1488)年に、「経帯麺」という料理を、訪問客にふるまった記述を見つけた。「居家必要事類」という中国の書物にそのレシピが記されていて、「けん(石へんに咸)」というかん水を意味する記述があった。

「義政の時代はお寺が文化の中心でもありました。相国寺は中国に船を出していたので、その中で経帯麺という料理を知り、けんも持ち帰ったのではないでしょうか。お経の帯のように切る麺という意味です」(稲澤会長)

 報告を受けた博物館は裏付けをとり、かん水を用いた麺であることから、経帯麺は「中華麺」だと判断した。

 いったいどんな麺なのか。博物館の営業戦略事業部課長の中野正博さんは、資料などを基に再現してみたという。

「かん水や塩の量が、現在の中華麺より若干多いのですが、今のレシピとほぼ変わらないものでした」

 居家必要事類には「かけ汁は任意である」とある。博物館では当時の精進汁に精通している研究者の協力を得て、しいたけ汁のものと、梅昆布がベースの2種類を用意した。

「どこかうどんのようでもあるのですが、麺をすすると感じるかん水の存在は、間違いなくラーメン。魚介を効かせたスープや、シンプルなしょうゆも合いそうです」(中野課長)

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