横浜DeNAベイスターズ時代の加賀美希昇(c)朝日新聞社
横浜DeNAベイスターズ時代の加賀美希昇(c)朝日新聞社

 プロ野球がなかった時代の1927年から開催されてきた都市対抗野球大会。野球と人間ドラマが熱くシンクロする大会は今年で88回目を迎える。前回優勝のトヨタ自動車の連覇はなるか。最多出場は59回の日本生命。今大会も見所は満載だ。かつての甲子園ヒーローやプロ経験者もプレーする、アマチュア最高峰であり、シーズン最大の「夏の祭典」は、7月14日に東京ドームで幕を開ける。

 20代後半を迎えていた加賀美希昇は、人生の岐路に立っていた。野球を続けるべきか。それとも別の道へ歩み出すべきか。「迷いがあった」という加賀美は就職活動もした。

「知人からアドバイスをもらい、職業診断シートを書いたこともありました」

 5年間在籍した横浜DeNAベイスターズを戦力外となった2015年、12球団合同トライアウトを受けた直後のことである。

 そんな加賀美のもとへ、社会人野球のJR西日本(広島)から声がかかったのは、トライアウトから1週間ほど経ったころ。神奈川の強豪・桐蔭学園から法政大に進み、ドラフト2位でプロ入りした加賀美にとって、社会人野球は未知の世界だったが、野球を続けられる喜びが、彼を突き動かした。

「プロでの最後の1年は本当に苦しかった。けがをしているわけでもないのに、2軍での登板機会もなくて……。好きで始めた野球を嫌いになって終わるのだけは避けたかった。そんな中で、JR西日本の後藤(寿彦)総監督から声をかけていただき、僕の『経験』を若い選手に伝えてほしいとも言われ、入社させていただくことに決めました」

 既婚者である加賀美は神奈川に家族を残し、単身で広島へ。厳しい環境で野球に打ち込む中、プロとは違った野球のだいご味を存分に味わっている。

「ベイスターズにいた時、社会人野球からプロ入りした先輩が、『社会人野球が今までで一番面白かった』と言ってたのを思い出します。そのことが今になってよくわかります」

次のページ