「脳と体がうまくマッチングしていなかったと思います。プロは個を表現して、自分という商品価値を上げていかなければいけない。ただ、個を磨くために良かれと思ってやることが、チームにハマらなければチャンスは与えられない。そこに気づくのが遅かった」

 出場機会を得ても、それを生かせない。プロ入りから7年目の14年オフ、ついに戦力外となった。

「別の世界で生きる選択肢もありましたが、妻から『お父さんが野球をやっていたという姿を、子供が鮮明に覚えている頃まで野球を続けてほしい』と言われまして僕自身もそう思った」

 当時、長男は3歳。だが、トライアウトに挑むも現実は厳しかった。最終打席の対戦投手は、プロ初打席で相対した元千葉ロッテの川崎雄介だった。

「ファーム暮らしが長かった僕にとって思い出深いジャイアンツ球場が会場で、マウンドには川崎さん。『野球を辞めろ』と宣告されているようだった」

 だが、野球の神様は加治前に手を差し伸べる。社会人野球の三菱重工長崎から声がかかり、再びユニホームを着ることになった。

「別の世界を見てみたい。そんな思いもありました」

 家族を東京に残して単身で乗り込んだ長崎で2年。チームの統合で、今年から三菱日立パワーシステムズ(神奈川)でプレーする。

「もう一度、プロ野球に戻る。それぐらいの気持ちで、身体が壊れるぐらいまで野球を続けたいですね」

 昨年11月に双子が誕生して家族が増えた。今年は自身2度目の都市対抗本大会。「東京ドームで勝ちたい」。プロで華やかな第一歩を踏み出した地であるその舞台は、加治前にとって、かつてとは違う輝きを放つ、特別な場所となっている。

週刊朝日 2017年7月21日号