京大合格者が大きく増えた高校をみると、公立校の躍進がめざましい。上位21校のうち、堀川(京都)、西京(京都)など、関西・近畿圏の公立校が8校を占めている。

 とりわけ、堀川は00年の京大合格者がゼロだったが16年に61人にまで急増している。かつての名門校のV字回復は「堀川の奇跡」とも呼ばれるほどだ。

 駿台予備学校進学情報センター長の石原賢一さんは、こう話す。

「京都では、府立高校よりも京都市立高校のほうが早く改革が始まりました。堀川は、99年の校舎建て替えと同時に『探究科』を設立し、進学指導に力を入れるようになった。公立校は、私立校と違って教員の異動が多く、長期間にわたって生徒と向き合った指導ができない点が課題です。市立高は学校数が少ないため異動も少なく、教員が継続して指導できたことも大きかったようです」

 公立校の改革が遅れた大阪では、大阪府が11年、難関大進学実績向上をめざす「進学指導特色校」制度を始めた。それ以来、合格実績が徐々に上向いている。かつては京大合格者数ランキングで上位の常連だった天王寺(大阪)や北野(大阪)も、特色校に指定されてから回復基調をたどっている。

 関西の進学校の勢力図は変わり始めている。ある有名私立進学校の教員は「堀川や北野の復活が明らかになり、優秀な生徒が公立校に行くようになってしまった」と危機感を隠さない。

 東京でも公立校の復権が進んでいる。

 東大合格者数ランキングの65年をみると、181人の日比谷を筆頭に、西、戸山、小石川といった公立校が上位に数多く入っている。日比谷は当時、200人近くを東大に毎年送り込む日本一の進学校だった。しかし、93年には東大合格者数が1人と激減していく。

 低迷の一因となったのが、都立高の学力格差をなくすために67年に導入された「学校群制度」だ。優秀な生徒が多くの学校に分散したため、合格実績が低下して都立高に優秀な生徒が集まりにくくなった。

 学校群制度ができてから3年後の70年には、早くも99人と半減した。当時は、高度経済成長期。中間所得層が増え、公立校ではなく私立の中高一貫校に通わせる余裕のある家庭も増えた。都立高校の衰退に拍車がかかった。

 復調のきっかけは、東京都が日比谷・西・戸山・八王子東を「進学指導重点校」として01年に指定したことだ。03年には学区制度もなくしている。日比谷は16年には東大合格者数を53人まで増やしている。

週刊朝日 2017年3月24日号より抜粋