羽田空港に降り立った(手前から)ポール・マッカートニー、ジョン・レノン、リンゴ・スター、ジョージ・ハリスン (c)朝日新聞社
羽田空港に降り立った(手前から)ポール・マッカートニー、ジョン・レノン、リンゴ・スター、ジョージ・ハリスン (c)朝日新聞社
週刊朝日2016年7月8日号 表紙のザ・ビートルズ
週刊朝日2016年7月8日号 表紙のザ・ビートルズ

 1966(昭和41)年4月7日、かねて噂されていたザ・ビートルズの初来日が決定したと新聞各紙が報じた。日程や会場など詳細は不明。日本中に衝撃が走った。音楽誌「ミュージック・ライフ」は、20日発売の号で異例の号外を挟み込んで特集した。

 主催の読売新聞社が5月3日に社告を出し、公演は6月30日、7月1、2日、日本武道館で実施すると発表。2年前の東京五輪・柔道に沸いた武道館が、今度はロックコンサートの会場として注目を集めた。

 ザ・タイガースの前身・ファニーズのベーシストだった岸部一徳(当時19)は当時、京都在住だった。

「見たいというより、行かないといけないという気分でした。ファニーズでビートルズの曲もやっていて、ポールと同じモデルのベースギターも買いました。来日公演は、トッポ(加橋かつみ)がいちばん盛り上がっていましたかね。日ごろからおとなしいジュリー沢田研二)は静かに興奮を抑えているようでした」

 テレビ中継が予定され、スポンサーはライオン歯磨、ライオン油脂に決まる。当初用意されたチケットは3日間で約3万枚。A~C席のうち、前方のA席は2100円。往復はがきによる抽選販売だった。本誌連載でおなじみの作家・桐野夏生(当時14)が言う。

「小6のころから深夜ラジオでポップスを聴くのが日課だった私は、ビートルズに狂いました。往復はがきは家族6人分応募して、私の名前のものが1枚だけ当たりました。運命を感じました(笑)」

 武道館へ――。岸部をはじめファニーズの面々は、京都から夜行列車で東京へ向かう。当時、高2でやはり京都にいたばんばひろふみは「ビートルズを見にいった生徒は退学だと、学校側に通告された」と、後のラジオ番組で語っていた。

「たぶん、ビートルズというのは、二度とこうへんぞ。そやけど、高校は他にいっぱいあるぞ」

 結局、「幕末の志士のような感じで」上京したが、退学にはならなかったとか。

 来日時のビートルズは、アルバム「ラバー・ソウル」、シングル「ペイパーバック・ライター」をリリースした時期。日本の若者に与えた影響も大きかった。後に活躍するミュージシャンたちは「コーラスワークが衝撃だった」と声をそろえる。

 宇崎竜童(当時20)が言う。

「FENから流れてきた『抱きしめたい』。それまで聴いてきたアメリカンポップスともロックンロールとも違う。僕たちの世代のための音楽を歌ってくれているとはっきり感じた」

 ザ・ドリフターズの高木ブー(当時33)の証言。

「僕らはプレスリー世代だけど、彼らは1人でなく、4人で歌う。そのハーモニーが、ハワイアンをやってきた僕にはおもしろく感じられた。ドリフターズでも『ハード・デイズ・ナイト』とか、カバーしましたよ」

 岸部もこう話す。

「演奏をしながらコーラスをする。そのスタイルにタイガースも大きな影響を受けています」

週刊朝日 2016年7月8日号より抜粋