「所感」にしては、内容は理念的、哲学的で、核なき世界をどう実現してゆくかという具体的提案はなかった。演説にはプラハであった熱情はなく、私は感銘を覚えなかった。印象に残ったのは、朝鮮人の被爆に言及したことぐらい。

 オバマ氏の任期は来年1月までとあとわずか。去りゆく者としては、核軍縮の具体策など打ち出せなかったということか。大統領の広島訪問は遅きに失したとの思いを禁じ得ない。

 謝罪もなく、核軍縮に向けた具体策の提示もなかった。これでは、私の立脚点からは今度の訪問に“合格点”を差し上げられない。率直な印象を言わせてもらえば、100点満点で55点ぐらいか。

 ところで、オバマ大統領の広島訪問は、はからずも日本人に自らの歴史認識について再考をうながす機会となった。この際、そのことも、強調しておきたい。私は大統領の広島訪問にあたって何人かに意見を求めたが、「大統領に謝罪を求める前に、日本がまず、日本が起こした戦争で被害を与えた国々の人たちにきちんとした謝罪をすべきだと思う」と話した人が少なくなかった。

 ある長崎の被爆者は「アジアやヨーロッパで海外生活をする機会を得たが、長崎、広島の被害だけを主張しても、残念ながら世界は耳を傾けてくれないと実感した」と語った。

 広島の被爆詩人・栗原貞子は、

「<ヒロシマ>といえば/<ああ ヒロシマ>と/やさしいこたえがかえって来るためには/わたしたちは/わたしたちの汚れた手を/きよめねばならない」

 と、うたった。

 この機会に、貞子の詩の一節を心に刻みたい。

週刊朝日 2016年6月10日号