「居場所のない子は、広島だけじゃなくて全国どこにでもおる。表面化しとるかどうかだけ。それなのに行政も裁判所も、食べられない人が実際におるという末端の実態を知らんのよ。あまりにも怠慢じゃろう」

 中本さんが面倒を見るのは子どもに限らない。

 リキさんの母親のアサコさん(仮名・50歳)は、息子がきっかけで訪れるようになった。物心ついたときから児童養護施設で育ち、家庭を知らない。15歳で社会に出て、水商売をしていたころに覚醒剤を覚えた。子どもが小中学生だったころには、覚醒剤取締法違反などの罪で3年半、刑務所に入った。中本さんと出会って以降は「もうやっていません」と言う。

 中本さんは「私が関わった人はみんな、薬物をやめているけんね」と話す。

「薬物依存症は暇を与えたらダメ。今まで人に迷惑かけたんだからご恩返しで人のためになることをやりなさいと、うちのボランティアにも参加させるんです」

 中本さんは自宅での活動に加え、92年ごろから公民館で食事会を開いている。その食事会が「うちのボランティア」だ。非行少年を冷たい目で見がちな地域住民と、普通の大人を知らない子どもたちを引き合わせるために始めた。2003年に「食べて語ろう会」という名称がつき、月2回の定期開催となった。

 アサコさんはこの会にほぼ毎回参加している。みんなで準備し、大人も子どもも一緒に食事を楽しむ。覚醒剤の後遺症で幻聴があり、以前は感情のコントロールがきかず別の参加者を殴ったこともあった。今はかなり落ち着き、お茶や食事を運ぶといった手伝いをできるようになった。

 世間並みの子育てはまだできない。中本さんが「アサコが真面目になって親子ともども幸せになれる生活をせにゃいけん。それが夢じゃろう?」と語りかけると、アサコさんは何度もうなずいた。

 中本さんは「こういう家庭はすごく多い」と言う。

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