そうはいっても、いまの時代、家を継がないと改易になって家臣が路頭に迷うなどということはありません。それに、文化財などは祖父(滋賀県彦根市長を務めた直愛[なおよし]さん)の頃に彦根市に大方寄付していましたから、継ぐといっても継ぐものもないんです。家を継ぐのは、世間から好奇の目で見られるためのようなものになっています(笑)。

 ただ現実問題として、文化財を放っておくわけにもいきません。役所の対応なども必要になるし、今まで残されてきたものをきちんと後世に残していくという役割もあります。

 自分が当主として継ごうとは思っていませんでした。役所などの交渉は女の名前より男の名前のほうがいいなと感じることもありましたから。だったら養子をもらうのもいいかな、と。

 現在は婿である夫が井伊家を継いでいます。他家から婿を取って養子にするというのは、井伊家では初めてのことです。

 中学生のころから、「ご兄弟は」と聞かれて「妹が一人です」と答えると、「養子さんをもらうのですか」と言われ続けていました。そのたびに「養子なんて絶対嫌だ」と思っていましたけどね。

 次郎法師が生きたのは私と違って戦国時代ですから、家を絶やさないというのはもっともっと深刻な問題です。「なぜ私が男に生まれてこなかったのか」と、彼女は思っていたのではないでしょうか。すごく強い人だったのだろうと思いますよ。

(本誌・鈴木 顕、森下香枝)

週刊朝日 2016年1月15日号より抜粋