あの人が生きていたら、この時代をどう書いただろう――今もその不在が惜しまれる不世出のコラムニスト・ ナンシー関の死去から、この6月12日で10年たった。ジャーナリスト横田増生氏は「ナンシーのテレビ評論の面白さは、その定点観測にある」と言う。(文・ジャーナリスト横田増生)

*  *  *

 ナンシーの考察や評論は、彼女の独自の感性や、過去の蓄積によるものであり、視聴率や人気投票、CDの売り上げ枚数などといった読者を納得させるのに便利な数字を考慮に入れないところに特徴がある。

 タレントの山田邦子に関するコラムを追っていくと、そのことが克明になる。ナンシーが最初に山田邦子のことを「面白くない」と明言したのは、91年10月号の「噂の真相」でのことだった。

〈山田邦子といえば、今や「好感度タレント」の代名詞である。私はこれが不思議なのだ。好きなタレントは? と訊かれて、なぜ「山田邦子」と答えるのか。正直言って、気が知れない。こういった、私の個人的感情レベルでの「不思議」もあるが、もっと客観的に考えても「不思議」はある〉(『何様のつもり』角川文庫)

 山田が1989年から96年まで8年連続でNHK好感度タレント調査において1位となっていたころのことである。しかし、ナンシーはその後も、「それでも山田邦子好感度一位の謎」(96年)や「『夜もヒッパレ』に山田邦子がまき散らした絶望感」(97年)、「山田邦子は終わった。やるベきことは、もうない」(99年)―----とナンシーの目に映る山田がどれだけ面白くないかを書き連ねた。

 ナンシーが最後に山田邦子について書いたのは、亡くなるほぼ2カ月前の「週刊朝日」の連載コラム「小耳にはさもう」(02年4月12日号)でのこと。

 最近ではもう、山田邦子がタレント調査で何位であるのかすらもわからない、とした上でこう書く。

〈あの調査結果が何よりも重要だったのが、山田邦子だったのである。あのランキングの落ち方と実質的な山田邦子の凋落(ちょうらく)は、本当に密接にシンクロしている。連覇していたときは、毎年のあの結果は山田邦子のあらゆる要素に信じられないほどの拍車をかけていたし、どんどん落ちていくようになってからは下り坂で背中を蹴飛ばすようなこれまた拍車をかけている〉

※週刊朝日 2012年6月22日号