地下鉄サリン事件からすでに17年が経つ。オウム真理教の歴史は「尊師」と呼ばれた男の人生遍歴と表裏一体である。

 麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(57=以下、麻原)は1955年、本県八代市で生まれた。男5人、女2人の7人きょうだい。下から2番目にあたる四男だった。

 熊本県立盲学校高等部卒業後、鍼灸師の資格が取れる専攻科へ。22歳で東京へ出た。周囲には「東大の法科へ行って政治家になる」と伝えていた。

 東大受験を諦めて78年に結婚。千葉県船橋市に「松本鍼灸院」を開いた。3年後、市内の別の場所に自然食品販売の「BMA薬局」を開業したが、82年に薬事法違反で逮捕された。

 ちょうどこのころから阿含宗の修行を始め、83年夏、麻原彰晃と名乗った。翌年、阿含宗を去り、「オウム神仙の会」を設立。矢継ぎ早に著作を出版し、高学歴の弟子たちが次々と入信した。

 発足時の信徒はわずか15人だったが、86年には東京本部、翌年には大阪本部をつくり、設立から3年半で信者を1300人にまで増やした。87年には「オウム真理教」に改称。その2年後には、東京都から念願の宗教法人の認証を受けた。

 社会との対決姿勢を見せ始めたのは、90年の衆院選後だ。「真理党」を結成して、麻原夫妻を含めた教団幹部25人が立候補。億単位のカネをつぎ込んだが、全員が落選した。麻原は「選挙管理委員会が票を操作した」と言い張った。落選直後には信者を前に、「ハルマゲドン(最終戦争)が来る。オウムに入らないと生き残れない」と出家を迫った。

 94年3月、麻原は仙台市内での講演で、ついに「対国家戦争」に言及する。

 最盛期は出家信徒が1400人、在家信徒は1万4千人にまで膨らんでいた。

※週刊朝日 2012年6月22日号