衣装などは、例えばレストランを経営している人の年収はいくらだ、弁護士はスーツを着ているだろう、といった今の社会におけるリアルな設定はそこまで気にせずに考えました。例えば岡田将生さん演じる中村慎森という人は弁護士なので、クライアントと会うときは一応スーツを着てはいたんですが、それ以外の時はスーツだと味気ないと感じ、セットアップのカジュアルなファッションにしてもらいました。さらに、すごく首が美しい人なのでタートルネックやハイネック、モックネックの服を着てもらって……という感じで、その人が持っている造形の美しさを生かすようにしました。     

──奥行きがあったのは人物像だけではなく、例えば社長という役割の人間についてや離婚の描き方など、多角的な表現がされていました

 そもそも人間も物事もすべては多面的なものだと思うので、何か一つの事象を書いた時のその裏側で何が起こっているのかについては意識していますし、おそらく坂元さんもそうだと思います。例えば社長には、社長としての孤独と仕事の喜びの両方が当然ありますよね。そのような社長の抱えるさまざまな側面を、とわ子自身が自分の内面を吐露するというよりは周りの言葉によってとわ子という人を浮かび上がらせていく手法で作ることで、いろいろな方向から描くようにしていました。人は本当に思っていることとは違うことを言うものだ、ということを生かした作劇をしている以上作り手として意図したまま伝わっていないと感じる時もたまにありますが、1回で伝わらないことも伝え方を変えて繰り返すことで伝われば、と思っています。

 離婚に関しても死ぬことに関しても、いろいろな人がいろいろな言い方で、かわいそうじゃないということを何度も形を変えて伝えています。女性で40歳でバツ3というと、この人は一体どんな魅力や欠点を持った人なんだろう、と興味を持ってもらえますし、設定の珍しさが強調されて見えますが、男性で1回離婚している人やそれ以外のどんな人に対しても本当は同じことが言えるわけじゃないですか。例えば「人生に失敗はあったって、失敗した人生なんてない」という言葉で、離婚という話題から人生における失敗全体へ広がりますよね。一つの小さな入り口からどこまで奥に、広く行けるか、ということを考えながら坂元さんが作っているんだろうな、とは感じます。

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