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第33回 ピストルズ解散後のジョン・ライドン、映画オーディションで…

文・中山啓子

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『アンガー・イズ・アン・エナジー:マイ・ライフ・アンセンサード』ジョン・ライドン著

●第7章 オープニング・パンド-ラズ・ボックス・ウィズ・ア・ハマー・アンド・チゼルより

 1978年にピストルズが解散してまもなく、俺は、『クアドロフェニア(さらば青春の光)』のオーディションを受けた。ピート・タウンゼントに頼まれたからだ。それは、ザ・フーのアルバムをベースにした映画で、彼は俺に、主役を演じさせたいと思った。だが、その黒い髪の苛立つ主人公の役を物にしたのは、イギリス人の俳優フィル・ダニエルズだった。
 ザ・フーのマネージャーが、俺を気に入らなかった上、連中は、俺が最初から最後まで、演じきれないと思った。ずばり言って、それはおそらく、正解だった。俺は何らかの形で、映画の作り方を教わる必要があった。だがその時点で、誰かに何かを聞く心構えさえしていなかった。

 ピート・タウンゼントは、俺のキャリアを通して、ずっと面倒見のいい理解者だ。彼と俺が出会ったのは、ピストルズを結成したばかりの俺たちが、ザ・フーのスタジオでデモ・テープを録っていた時だった。ミスター・タウンゼントは、スタジオを使っているのが、誰かわかると、「使用料はいらないぞ」と言ってくれた。だから俺は、彼をただただ尊敬している。彼はまた、俺の弟ジミーのバンド、フォー・ビー・トゥのためにも、一肌脱いだ。

 彼は、理解されにくい性格だが、いろんな連中が言うように、音楽やバンドのもろもろの面で、行き詰っている場合、彼は、自分の名前を表に出さずに、できる限りの援助をしてくれる。彼は、スタジオを使わせ、声をかけ、リハーサルに付き合い、足りない要素をアドヴァイスするだろう。彼が、ザ・フーのメンバーについて語ると、実際にバンドに加わっているような気になる。だがそれは、「で、俺が……」という個人的な話じゃない。彼はあくまでも、一つのバンドとして話し聞かせる。

 だから、俺が数年後に、ロジャー・ダルトリーと初めて顔を合わせた時、それが、会話のきっかけになった。「へえー、ピートと付き合いがあるのか? そうそう、そうだよな……」という具合に、俺たちは、共通の話題で盛り上がった。

 ピートがそばにいると、保護者がいるような気になる。それ以外に形容できない。包容力があり、いつでも手を差し伸べてくれる存在だ。彼は、相手の考えがわからなければ、余計な口出しをしない。それでも後押しするだろう。まるで、父親のようなものだ。俺がいつでも、電話できる人物だと思う。だが俺は、依存心がないから、そういう付き合い方をしたくはない。とはいえ、彼は絶対に、どんな求めにも応じてくれる。彼はそういう人間だ。

 とにかく俺は、映画のオーディションを受ける間、フィルムに収められた俺の演技、俺の見せ場を、ガンター・グローヴに届けさせた。それは、あのどでかいフィルム用の缶ケースに収められて、配達された。当時まだ、ガンターで暮らしていたデイヴ・クロウ(セカンダリー・スクール時代のクラスメート)は、ああいう缶を作るイギリスの会社を知っていた。クロウが前に住んでいたボーハムウッドに、その工場があったからだ。
 そうして、トントン拍子に話が進み、俺たちは、まったく新しい革新的な音楽を提供する、まったく新しい革新的な手段を使った。つまり、実際にメタル・ボックスに入れるという趣向だ。

 あの展開性のあるトラックを全部、45回転の12インチのレコード3枚に収めて、リリースしたのは、名案だった。だが俺たちは、『メタル・ボックス』のほとんど全予算を、あのバカ高いケースに費やした。レコーディングの費用より、はるかに金がかかった。だがヴァージン(・レコード)は、その代金を払わなかった。だから、俺たちが負担した。

 結局は、メタル・ボックス自体が、極端に使いづらいものになった。出来上がったケースは、円形の砂糖菓子用のトレーを2枚、くっつけたようなありさまだった。ケースをこじあけるのが厄介で、レコードを取り出すのに、並外れた忍耐と労力が求められた。

 だがそれは、ある意味で妥当だった。なぜなら、まさに聴こうとするレコードは、紛れもない不快な音楽として解釈される可能性があったからだ。それは、努力を払う心づもりのあるリスナーのために作られていた。
 そうしてようやく、耳を傾けると、ベースが、とてつもなくディープで、レコードの針を飛ばすほど、溝が深かった。俺たちは、当時のハイファイ装置より、一歩先を行っていた。

『メタル・ボックス』は、1979年11月にリリースされた。レヴューは、好評だった。だが、ああいう評価は、当てにならない。悪評のほうがまだ、信じられる。とにかく、初回プレスは、すぐに売り切った。ところが、『メタル・ボックス』の影響は年々、大きくなっていった。
 俺はインタヴューで、それを“ムード・ミュージック”と言った。つまり、感情を害する音楽だと思ったからだ。

『Anger Is An Energy : My Life Uncensored』By John Lydon
訳:中山啓子
[次回1/18(月)更新予定]


(更新 2015.12.14 )


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