「ベストセラー解読」に関する記事一覧

仕事。
仕事。
川村元気は映画『告白』や『悪人』などの制作で知られる若手プロデューサーである。2012年に刊行した初小説『世界から猫が消えたなら』は70万部を超えるベストセラーになった。 『仕事。』は川村によるインタビュー集。テーマは仕事、それも、「金のためではなく、人生を楽しくするための仕事」だ。それを川村は「仕事」ではなく「仕事。」と表記する。  インタビュイーは「仕事。」で世界を面白くしてきた巨匠たちだ。山田洋次や倉本聰、宮崎駿、鈴木敏夫といった、川村の専門である映画や映像の分野の人もいれば、ノンフィクション作家の沢木耕太郎や、コピーライターの糸井重里、詩人の谷川俊太郎、音楽家の坂本龍一、写真家の篠山紀信もいる。  彼ら巨匠が30代のころ、どのように仕事をしていたのかを川村は聞いていく。含蓄のある言葉がたくさん出てくる。20代のぼくなら反発したような言葉が多い。  たとえば山田洋次は脚本家、橋本忍の言葉を引きながら、師に学ぶということは、批判せずに全部鵜呑みにすること、そっくりなぞるように真似ることではないかという。あるいは、倉本聰も秋元康も、ほとんど寝ないで働いた20代、30代の経験が糧になっているという。坂本龍一も「勉強するってことは過去を知ることで、過去の真似をしないため、自分の独自なものをつくりたいから勉強するんですよ」という。  20代のぼくは、師なんて持ちたくない、真似なんかするもんかと思っていた。睡眠時間を削るぐらいなら飢え死にしたほうがましだと思っていた。ぼくが大成しなかった理由がわかる。  谷川俊太郎の言葉がズドーンと響く。いい詩を書くよりも「家族と一緒にきちんと生活をするほうが大事な人間だったんですよ」といい、「金が必要なんで、詩以外のことをやり始めた」という。「いい詩」を書いてきたからこそいえる言葉だ。
ベストセラー解読
週刊朝日 11/6
税金を払わない巨大企業
税金を払わない巨大企業
この4月に消費税が8%に上がって以降、日本経済は誰が見ても停滞している。このような状況下で、安倍晋三首相はさらなる消費税アップを決断するのか……。国際公約だから上げざるを得ないとの見方が強いが、その一方で首相は、法人税の引き下げについては早々に明言している。経済界からの強い要請を受けて判断したらしいが、そもそも、本当に日本の法人税は高いのか?  中央大学名誉教授の富岡幸雄は、実態を調べるため、2013年3月期の大企業の実効税負担率(法人税納付額÷企業利益相当額)に着眼。困難な作業の末に「実効税負担率が低い大企業35社」を割り出し、この『税金を払わない巨大企業』で実名を発表した。  一見して、驚いた。たとえば1位の三井住友フィナンシャルグループは、0.002%となっている。税引前純利益が1479億円強あっても、支払った法人税等は300万円なのだ。以下、2位にソフトバンクの0.006%。3位にみずほフィナンシャルグループの0.09%と続き、金融関係が10位までに7社ある。それぞれの企業は脱税しているわけではないのだが、法定正味税率38.01%下にしてこの負担率の軽さは、やはり奇異だ。そこには、いったいどんなカラクリがあるのか? 富岡はその点についても詳しく解説し、さらには、タックス・ヘイブンと移転価格操作を利用して無国籍化しつつある多国籍企業の内実を紹介する。彼らは次々と新手の避税の手口やスキームを編みだし、国よりも自社の利益をひたすら追求しているのだ。  欠陥税制のままではいくら法人税を下げても、国の財政は改善されず、国民は豊かになれない──国税庁の職員、税務会計学の研究者、企業の顧問として70年近く税に携わってきた富岡は、〈日本の財政や税制を真に改革するための遺言〉としてこの本を書いた。遺言の中身が実現されれば、法人税減税も消費増税も必要ない。
ベストセラー解読
週刊朝日 10/29
『鹿の王』上・下
『鹿の王』上・下
エボラ出血熱は終息どころか感染者が増えるばかりだ。人類が滅びるとしたら感染症によってだろうと聞いたことがあるが、エボラ出血熱がそうなのか。  上橋菜穂子の『鹿の王』は、感染症や医学、生物学、さらには文化や国家間対立の問題についてまで視野に入れたファンタジー。児童文学のノーベル賞とも呼ばれる国際アンデルセン賞受賞第一作でもある。  主人公はヴァンとホッサルという二人の男だ。ヴァンは敗戦国の元戦士で、いまは奴隷。ホッサルは戦勝国の医師である。  ヴァンが鎖につながれて働く岩塩鉱山を野犬の群れが襲う。犬に噛まれた奴隷たちは次々と高熱に苦しんで死ぬ。ヴァンも噛まれるのだが、なぜか回復する。ヴァンはもうひとり生き延びた幼女とともに鉱山を脱出して逃亡する。  一方、野犬を媒介にした感染症が広がるのをおそれるホッサルは、ヴァンが免疫を持っていると推測する。人びとを病から救うにはヴァンが必要だ。ホッサルはヴァンの行方を追う。  なにしろ上下巻合わせて千百ページあまりもある長篇だ、物語は逃亡と追跡だけにとどまらない。ヴァンの国はなぜ滅びたのか、ホッサルの国はどのように他民族を支配するのか、周辺国との緊張なども語られる。支配される者、滅ぼされる者の哀しみや恨みなども。そもそも、野犬が媒介するこの伝染病はなぜ発生したのか。  ホッサルとその助手ミラルによって語られる感染症と病原体と免疫の話が興味深い。たとえば消化を助ける細菌のように、生物の体内で生きる微生物がある。病原菌のように、それが悪さをすることもあるが、もともと生物は他の生物と共生していくものなのだ。もちろん人間も。そして、人間の共同体もまた、異文化等と共存することで歴史を重ねていく。  この物語を読むと、他国を罵ったり異文化を排除しようとする者は、生命の歴史そのものに逆らおうとしているのだとわかる。
ベストセラー解読
週刊朝日 10/22
知ろうとすること。
知ろうとすること。
東日本大震災にともなう福島第一原発の事故が起きて3年7カ月。無理もなかったが、あのとき、東京に暮らす私は大いに混乱した。現場の詳しい状況がほとんど伝わってこないまま頻発する余震におびえ、メルトダウン、ガンマ線、セシウム137など聞きなれない言葉を耳にするたび疑心暗鬼になり、いったい何を信用して行動すればいいのか迷いつづけた。  そんな中、物理学者の早野龍五はツイッターで情報発信をはじめた。入手データをグラフ化して現時点での事実を淡々と知らせる早野のツイートは、多くの人々の支えとなった。「大切な判断をしなければいけないときは、必ず科学的に正しい側に立ちたい」と考える糸井重里もその一人だった。  この『知ろうとすること。』は、事故から3年が過ぎた時点で二人が対談し、ツイッターによる情報発信後の早野の活動を中心に編まれた。もともと原子力の専門家ではない早野だが、不安渦巻く福島に関わっても、その支援の基本はあくまでも正確なデータ収集と分析だった。そのためには煩雑な交渉もいとわず、時にはポケットマネーも投じ、学校給食の陰膳調査、子どもたちの内部被ばく測定装置開発などを実現。判明した事実に基づくアドバイスや新たな対応を提案し、国内外に論文も発表した。  しかし、いくら安全な結果が出ても、人々はなかなか安心しない。一連の活動を通して〈科学と社会の間に絶対的な断絶がある〉と知った早野に、糸井は、個々人が科学的に正しい側に立って近くの人に「大丈夫だよ」と声をかける、そんな「弱い力」が重要になってくると語る。  では、玉石混交の情報が飛びかう中、個人はどうやったら正しい側に立てるのか。これは私たちのメディア・リテラシーの問題なのだが、大いに参考になる方法論が、糸井のあとがきに書いてある。早野の実績と科学の話、そして糸井の知恵にふれる文庫本430円。買って損はない一冊だ。
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週刊朝日 10/15
もう年はとれない
もう年はとれない
口から出るのは悪態ばかりで、愛用の武器は357マグナム。ラッキーストライクを手放せないチェーンスモーカーでもある。まるでタフガイのカリカチュアのような男。ダニエル・フリードマンの長編小説『もう年はとれない』の主人公、バックである。元刑事が活躍するミステリーは珍しくないが、彼の年齢が87歳となると話は別だ。  バックは第二次世界大戦の戦友から呼び出される。臨終に際して戦友が告白・懺悔したのは意外な事実だった。捕虜収容所でバックを痛めつけたナチスの将校が生きているかもしれないというのだ。自分は戦後、彼を見逃してやった、金の延べ棒と引き換えに、と。  バックが元将校を探しはじめるのは、彼に対する復讐のためだけではない。元将校が見つかれば、彼が持っていたという大量の金塊の行方もわかるからだ。  とはいえなにしろ87歳。目はかすみ、足腰は衰え、記憶力もかなり怪しくなっている。長距離の運転もままならない。そこで相棒となるのが孫のビリーだ。ITに強い法律家の卵である。  ところが捜査を始めたとたん、バックの周辺が騒がしくなる。金の匂いに引き寄せられたのか。ついには殺人まで起きて、物語はどんどん血なまぐさくなっていく。追う側だったバックは、やがて追われる側となり……。  典型的なミステリーの枠組みの中に、いろんな要素が詰まっている。たとえばアメリカのユダヤ人社会とナチ・ハンターのこと。ナチスによるユダヤ人虐殺は終わった話ではないのだ。  高齢化社会に悩むのは日本だけでないこともわかる。老人だけで暮らせなくなったときはどうするか。訪問介護か、施設に入るか。バックがスマートフォンやインターネットについていけないことが滑稽に描かれるが、これも世の中の動きから置いていかれるほうからすると深刻だ。  バックと同世代の読者の感想を聞きたい。
ベストセラー解読
週刊朝日 10/8
無人島セレクション
無人島セレクション
もしも無人島で独りぼっちになるなら、何を持っていくか?  誰もがかつて身近な人と話題にしたことがあると思われるこの問いに、一枚のレコード(CD)、一本の映画、一冊の本という条件を付け、大人の男たち18名に答えてもらう。そうやって編まれた『無人島セレクション』は、長く編集者をやっていた者としては、ちょっと安易すぎないかと茶々を入れたくなる企画なのだが、いざ手にとってみると、つい読みふけってしまった。  回答している中高年の男たちが真摯に自問し、記憶をひもとき、選択した作品にからめていろいろあった来し方の凹凸を告白しているからだろう。たとえば巻頭に登場する浅井慎平は、かつて自身が監督、撮影、脚本、照明を務めた映画『キッドナップ・ブルース』を選び、「ただ一度だけのたのみ」を聞き入れて協力してくれた多くの友人たちを思う。そこには主演を担った、30年余り前のタモリがいる。ひょんなことから少女と二人で旅をする孤独な中年男役のタモリ。その姿を無人島で観る孤独な老人、浅井愼平。 〈映画を観るということは映画に観られることだと、ぼくは気づく〉  本誌でもおなじみの亀和田武は、ザ・ローリング・ストーンズの『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト!』を持参するレコードに選んでいるのだが、その理由を綴った文章は優れた私小説のようだ。同じくこのアルバムのファンであっても、亀和田と私とでは、当然ながらそこに現れる背景は違う。或る時代を何歳で過ごしてきたかの違いといえばそれまでだが、その差異もまた、作品の新たな魅力を感じるきっかけになる。  古典的な問いをきっかけにはじまる過去との対話は、自分がいったい何にこだわって生きてきたかを明らかにしていくようだ。だから読者もまた、気づけば記憶をたどって自問する。自分だったら何を……ちなみに私は、山田風太郎の『人間臨終図巻』を持っていくと決めている。
ベストセラー解読
週刊朝日 10/1
シャバはつらいよ
シャバはつらいよ
ベストセラーになった『困ってるひと』は、ミャンマー(ビルマ)難民支援をする大学院生が難病となり、助ける人から助けられる人になるてんまつを描いた闘病記だった。続編となる本書は、著者が退院するところから始まる。  といっても、病気が治ったわけではない。退院して病院のすぐそばにあるマンションに越したのは、現代日本の医療制度のため。長期入院患者は病院の診療報酬の減額対象となるからなのだ。  ナースコールひとつで看護師が駆けつけてくれる病院と違って、難病患者にとってシャバは過酷だ。ましてひとり暮らしにはなおさら。一日一時間のヘルパーの手を借り、ネットを駆使してなんとか生き延びる。文字どおり毎日がサバイバル。障害者とも高齢者とも違う、難病患者という「困ってる」現実がここにある。でも前作同様、著者の文章はユーモラスで明るい。  読んでいて、なんぼなんでもひどいなあ、と思ったことがある。著者が電動車いすを購入する件だ。なにしろ目と鼻の先にある病院に通うのだってたいへんなんだから、電動車いすは必需品だ。ところがタダじゃない(ぼくにとっては第一のびっくり)。その人の状態に応じて行政からの補助金が違う。その補助金の額を東京都の心身障害者福祉センターが「判定」する(第二のびっくり)。著者は高田馬場にあるセンターに行くのだが、建物が古くて難病患者にはハードルだらけだ。おまけに「判定」する職員からは、できるだけ補助金を少なく済ませようとする態度が見え見え(第三のびっくり)。しかも電動車いすが届いたのはその8カ月後だ(第四のびっくり)。東京という街は、日本という国は、難病患者や障害者はじめ、弱者にはほんとに冷たい。  こうして日々サバイバルの著者を、とてつもない危機が襲う。2011年3月11日。著者の実家は福島県。著者の中で「人の役に立ちたい」という欲求が大きくなっていくのだが……。
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週刊朝日 9/25
死んでしまう系のぼくらに
死んでしまう系のぼくらに
仕事のひとつとしてこの夏、私は田村隆一(1923~98)のすべての詩を再読した。  戦前の少年期にモダニズム詩に衝撃をうけた田村は、復員後、日本的な抒情とは無縁の硬質の作品を書きつづけ、現代詩の基本的な枠組みをつくりあげた。田村の詩は当時の若い世代を中心に支持され、後につづく詩人たちにも大きな影響を与えた……そんな文学史を復習した私は、現代ではなく現在の詩が気になり、最果タヒの新しい詩集『死んでしまう系のぼくらに』を手にとった。  1986年に生まれ、大学在学中に『グッドモーニング』で中原中也賞を受賞した最果は、多くの作品をネット上に発表してきた。縦書きの散文詩と横書きのつぶやきのような短詩が収まった今回の詩篇も、詩誌や新聞紙上に掲載された一部を除けば、初出はネットとなっている。 <ビル、海、山、光のさす窓のさっし、カーテン、ゆれることでみえる風や、わたしたちの肉体。大丈夫、こんなものはいつだって、数億年で作り直される。きみは死んだらおしまいだから、だから私は何度だって、死ぬなっていうし、世界を憎もうっていうよ。>  これは「2013年生まれ」という作品の最終段だが、詩の矛先はタイトルどおり、死んでしまうかもしれない同世代に向けられているようだ。自殺が若者の死因のトップとなっているこの国で、若い詩人が、言葉の可能性を駆使して「死への誘惑」と対峙している。  死ぬな、生きろ、都合のいい愛という言葉を使い果たせ。──「香水の詩」より  口を隠して、鼻を隠して、/世界からわたしを見えなくすればいいだけの、/簡単な自殺をしよう。──「マスクの詩」より  詩が読まれなくなった日本で、情報を伝えるためだけに言葉が使われる日常にあって、<言葉が想像以上に自由で、そして不自由なひとのためにあることを>伝えたかった詩人の詩集には、息苦しい現在がいきいきと詰まっている。
ベストセラー解読
週刊朝日 9/18
地方消滅 東京一極集中が招く人口急減
地方消滅 東京一極集中が招く人口急減
日本創成会議が5月に発表した「消滅可能性都市896のリスト」は日本中に大ショックを与えた。2040年までに若年女性の減少率が5割を超える自治体、すなわち消滅可能性都市が896。さらに人口1万人を割るであろう都市が523もあるというのだ。増田寛也編著『地方消滅』はそのさらに詳しいレポートである。  恐ろしい本だ。「少子高齢化」ということは、ずいぶん前から言われてきた。実際、街を歩いていても、老人が増えたなあと感じる。だが、ほんとうの問題は少子高齢化のその先だと本書は言う。子どもが減って老人が増えれば、人口が減る。それも、急激に減る。2050年には人口1億人を割り、今世紀末には5千万人を割る。  明治時代の人口はそれくらいだったのだから、漱石や一葉の時代に戻ったと思えばいいじゃない、なんて呑気に考えていたのだけれど、事態は深刻だ。  映画のフィルムを巻き戻すように、ゆっくりと均一に全国の人口が減るわけではない。本書の副題にあるように、東京に若者が吸い寄せられることで、地方の人口は急減していく。少子化による人口減と東京への移動による人口減のダブルパンチが地方を襲う。  人口が減れば税収も減る。橋や道路も直せなくなるし、公立病院や図書館だって維持できるか。人は荒野の中で生きていけない。住めなくなった街から人は消え、自治体も消滅する。  だから少子化対策を、と言いたくなるけど、残念ながらそれだけでは焼け石に水だし、効果が出るのはかなり先だ。いちばん必要なのは東京への流入を止めること。東京への人口移動が減れば、ゆっくりとした人口減少、縮小再生産をむかえられるだろう。  そのためには東京への一極集中をやめることだ。大企業の本社を地方に移せばいいのに、とぼくは思う。たとえば都内の法人税を3倍にして、地方の法人税を半分にするなんてどうか。
ベストセラー解読
週刊朝日 9/11
知の訓練 日本にとって政治とは何か
知の訓練 日本にとって政治とは何か
自国の近現代史をどう教えるかは、戦後、日本の教育問題のひとつとなってきた。  明治維新をきっかけに西洋から輸入した「政治」と天皇を現人神とする「政事」を組みあわせて富国強兵をすすめ、昭和20年に独立を失い、GHQが指導した新たな憲法下で現在にいたる日本。その歴史はざっくりと教科書にも記載されているのだが、高校の授業は踏みこまない。大学入試でもほとんど問われない。そんな背景もあってか、たとえば、大東亜戦争で日本がどの国と戦ったか知らない若者が増えつづけている。  原武史の『知の訓練』が興味深いのは、これが明治学院大学で行われた彼の講義をもとにしている点だ。講義名は「比較政治学」ながら、その内容はサブタイトルにあるとおり、一貫して「日本にとって政治とは何か」を問うている。現在の学生を相手にこの曖昧で重要なテーマに挑んだ原は、「○○と政治」というアプローチを選択。○○に時間、広場、神社、宗教、都市、地方、女性を設定し、「政治」と「政事」がからみあってきた日本の特性を明らかにしていく。  たとえば、王政復古をスローガンにした明治政府がなぜ「神道は宗教に非ず」とする必要があったのか? この問いについて考えるだけでも、近代化を急いだ当時の政治の特異性が見えてくる。そこにはやはり「政事」とのせめぎ合いがあり、国家神道が成立するよう仕向けた、『古事記』や『日本書紀』にまで溯るアクロバティックな政治の実相が理解できる。  戦後が終わって新たな戦前がはじまったとも言われる昨今。そもそもこの国がどのような政治によって形づくられてきたのか知ることは、何も若者たちだけの課題ではないだろう。私たち昭和に育った元学生たちもまた、ずいぶん粗っぽく自国の近現代史を学んできたにすぎない。「日本をとりもどす」と訴える安倍首相の政治をしっかり見極めるため、元学生にも知の訓練が必要な時である。
ベストセラー解読
週刊朝日 9/3
いま生きる「資本論」
いま生きる「資本論」
いまどき『資本論』だって? と内心つぶやきながら読みはじめ、いまこそ『資本論』だ! と強く思って読み終えた。佐藤優『いま生きる「資本論」』は、市民向けにマルクス『資本論』を講義した記録である。1回90分の講義を6回。わずか9時間であの大著を把握するというのだからすごい。もちろん細部まで検討するのは無理なので、『資本論』を山脈に見立て、頂から頂へとヘリコプターで移っていきながら全体を把握する。あとは各自で読め(そして考えろ)ということだ。  宇野弘蔵の読み方をベースに、おもに向坂逸郎訳の岩波文庫版を使いながら、ぐいぐいと読んでいく。しかもたくさんの参考書を紹介しながら(古書店でいくらぐらいなら「買い」なんて情報も)。  身近な事象を例にするのでわかりやすい。たとえばビットコインとマルボロと刑務所の石鹸の話とか(これじゃ何の意味かぜんぜんわからないでしょう?)。でももっと面白いのは、脇道の部分だ。論文は起承転結で書いてはいけないとか、酒井順子『負け犬の遠吠え』がベストセラーになったのは排中律を使って負け犬を定義したからだとか、佐藤が大量の媒体に書いているのは自分の身を守るためだとか。  なぜいま『資本論』なのか。それは世の中がことごとく資本主義化してしまったからだ。言い換えると、ゼニカネの勘定がすべてになってしまったからだ。人を年収や資産のモノサシで見たり、夢や希望といえば「あれが欲しい」「これを買いたい」とカネをつかうことばかり。安倍内閣の支持率が高いのだって、ゼニカネのことについて支持している人が多いのであって、解釈改憲だの特定秘密保護法だのが支持されているわけじゃない。しかしゼニカネばかりじゃ息苦しい。  だからこそこの本の最後の最後で、ゼニカネに還元されない直接的人間関係の重要さを示しているのは心にしみる。
ベストセラー解読
週刊朝日 8/27
弱いつながり
弱いつながり
思想家、作家として活躍する一方で、『思想地図β』編集長やゲンロンカフェを運営する会社の社長も務める東浩紀。『存在論的、郵便的』で注目された人らしく、その著作には「難解」のイメージがつきまとってきた。しかし、最新刊となる『弱いつながり』はこれまでとは違っていた。  副題に「検索ワードを探す旅」とあるこの本は、本人も序文に書いているように、「哲学とか批評とかに基本的に興味がない読者を想定した」ものだった。実際、語りおろしのエッセイを再構成した読みやすい文章によって、ネットに統制された時代にいかに「かけがえのない生き方」を実践するか、その具体的な方法論と根拠が示されている。  それは、<グーグルが予測できない言葉で検索する>ために<場所を変える>ことだけと東は説く。 「ググる」でおなじみグーグル検索のカスタマイズ技術の進化はめざましく、こちらの好奇心を予測して該当する言葉を先に出してくる。この機能はたしかに便利だが、日々使いつづければ、グーグルが取捨選択した枠組み(世界)でしか考えられない、強い絆にからめとられた状況に陥りかねない。とはいえ、ネットなしの生活はもう難しい。ならば、いかなる進んだカスタマイズ機能にも予測できない言葉を入手するしかない。そのためには、<環境の産物>である人間らしく、自分の環境そのものを変えればいい。  この東の主張は、だから、必然的にネット時代の「旅のすすめ」へとつながる。自分の置かれた環境に留まって強い絆ばかりに囚われているのではなく、たまには、観光客としてでもかまわないから異なる環境へと出ていき、そこで偶然出会った「言葉」を検索してみる。そうすれば、そこから弱い絆が生まれ、自分の人生に新たな世界を獲得できる。  東らしからぬ人生論を装いながら、この本には、ネット時代にふさわしい哲学が満ちている。
ベストセラー解読
週刊朝日 8/21
この話題を考える
大谷翔平 その先へ

大谷翔平 その先へ

米プロスポーツ史上最高額での契約でロサンゼルス・ドジャースへ入団。米野球界初となるホームラン50本、50盗塁の「50-50」達成。そしてワールドシリーズ優勝。今季まさに頂点を極めた大谷翔平が次に見据えるものは――。AERAとAERAdot.はAERA増刊「大谷翔平2024完全版 ワールドシリーズ頂点への道」[特別報道記録集](11月7日発売)やAERA 2024年11月18日号(11月11日発売)で大谷翔平を特集しています。

大谷翔平2024
アメリカ大統領選挙2024

アメリカ大統領選挙2024

共和党のトランプ前大統領(78)と民主党のハリス副大統領(60)が激突した米大統領選。現地時間11月5日に投開票が行われ、トランプ氏が勝利宣言した。2024年夏の「確トラ」ムードからハリス氏の登場など、これまでの大統領選の動きを振り返り、今後アメリカはどこへゆくのか、日本、世界はどうなっていくのかを特集します。

米大統領選2024
本にひたる

本にひたる

暑かった夏が過ぎ、ようやく涼しくなってきました。木々が色づき深まる秋。本を手にしたくなる季節の到来です。AERA11月11日号は、読書好きの著名人がおすすめする「この秋読みたい本」を一挙に紹介するほか、ノーベル文学賞を受賞した韓国のハン・ガンさんら「海を渡る女性作家たち」を追った記事、本のタイトルをめぐる物語まで“読書の秋#にぴったりな企画が盛りだくさんな1冊です。

自分を創る本
日本劣化論
日本劣化論
第二次安倍政権が発足して以来、どうも気分が晴れない。なんでこんなに支持率が高いのか、ぼくにはさっぱりわからない。笠井潔と白井聡の『日本劣化論』は、そんなモヤモヤを吹き飛ばしてくれる対談だ。  この2人の組み合わせがいい。笠井潔は『哲学者の密室』などのミステリーや『ヴァンパイヤー戦争』などファンタジーと、『テロルの現象学』などの評論で知られる。かつては新左翼党派の活動家でもあった。白井聡は『永続敗戦論』が売れ続けている若手学者で、専門は政治学と社会思想。1948年生まれの笠井と1977年生まれの白井。その年齢差は親子ほどもあるのだが、対談に世代間ギャップによる齟齬はない。笠井はちっともエラそうじゃないし、白井もペコペコしない。  日本の保守がいかに劣化しているかに始まり、その劣化保守の対抗軸になり得ていない左派の劣化ぶり、政治家から大衆まで広く蔓延する反知性主義など、次々と俎上に載せていく。  なぜ劣化したのか。それは近現代史をちゃんと理解していないから。「敗戦」を「終戦」と言い換えるなど、アジア太平洋戦争をまともに総括しなかったところに現代の問題の根はあるというのが白井の『永続敗戦論』だったが、二人の議論はさらに射程距離を伸ばして近現代史全般に及ぶ。しかも歴史を捉えそこなっているのは保守主義者や歴史修正主義者たちだけでなく、左派の側だって五十歩百歩だというのである。 「劣化」というけれども、読んでいくうちに、もともとダメだったんじゃん、という気分になる。昔がよかったわけじゃない。ダメでもボロが出なかったのは、幸運に幸運が重なって経済成長があったからだ。幸運が去ってボロが目立ってきた。  さてどうするか。こうなっちゃったからには、とことん劣化を進めて行くとこまで行って、イチから出直し、やり直し、ってのがいいんじゃないかと思います。
ベストセラー解読
週刊朝日 8/14
かもめのジョナサン完成版
かもめのジョナサン完成版
1974年の夏、『かもめのジョナサン』の日本語版が発売されたとき、私は中学2年生だった。アメリカで大ベストセラーになっている物語を当代一の人気作家、五木寛之が“創訳(創作翻訳)”したとあって注目され、日本でもベストセラーになった。どういう経緯で手にとったかは覚えてないが、その本を読んだ当時の私の印象は、「やたらとカモメの写真が多い」だった。  あれから40年が過ぎ、三章構成だった前作に第四章を追加した完成版が登場した。  捕食のためではなく「よりよく飛ぶ」ことに専念するために群れを離れ、飛行技術を磨きつづけるジョナサン。この孤高のカモメはやがてさらなる高みへと飛翔し、そこで出会った先達から、<完全なるものは、限界をもたぬ。完全なるスピードとは、よいか、それはすなわち、即そこに在る、ということなのだ>と説かれる。この教えに従って努力を重ねたジョナサンがついに瞬間移動を修得すると、師匠は、<もっと他人を愛することを学ぶことだ>と告げていなくなる。残されたジョナサンは意を決して以前いた海岸にもどり、若き後輩たちを指導。技術だけでなく、自由を求める精神の貴さも伝えて虚空へと消え去る……。  まさか再読するとは思わなかった三章までの内容をざっと記してみたが、ここまで自己啓発的な寓話だったことに驚いた。完成版に収録されている旧版のあとがきで、<私たち人間はなぜこのような《群れ》を低く見る物語を愛するのだろうか>と五木は書いている。実際、ここにあるのは、自由や愛の意味が上意下達の手法で伝道されていく物語だ。だから、いつしかジョナサンはカモメたちの伝説となり、必然的に神格化されることになる。  全世界で4千万部売り上げた物語に新たに加わった最終章は、実は最初から書かれていたらしい。あいかわらずカモメの写真が多いこの本を読んで、私の違和感はずいぶん軽くなった。
ベストセラー解読
週刊朝日 7/31
うみの100かいだてのいえ
うみの100かいだてのいえ
横長の本を90度回して縦にして、ページを開くとどうなるか。なーんと上下に60センチもの長い絵の登場だ。岩井俊雄の絵本、『100かいだてのいえ』をはじめて見たときの衝撃を忘れられない。横に長いパノラマ絵本や仕掛け絵本はいろいろあるけど、「そうか、こういう手があったのか」と感動した。  空まで届く地上100階の家の次は、地下を掘って『ちか100かいだてのいえ』。地面の上と下にそれぞれ100階の家を建て、もうおしまいだろうと思ってたら第3弾が出た。『うみの100かいだてのいえ』である。  人形の「テンちゃん」が船から海に落ちてしまう。しかも落ちたときに着ていた服は脱げてしまい、アクセサリーもはずれてしまう。なんと髪の毛までも。テンちゃんは不思議な泡の中に吸い込まれていって……着いたところが水の中の家。100階もある不思議な家だ。  家の中には10階ずつ、いろんな海の生きものが暮らしている。ラッコ、イルカ、ヒトデ、タコ、タツノオトシゴなどなど。  それぞれの生きものたちは、すでにテンちゃんの服やアクセサリーを使ってしまっている。たとえば髪の毛は、ラッコの赤ちゃんの布団に。鞄はウツボの子どものブランコに。そこでテンちゃんはかわりに彼らのものをもらう。髪の毛は海藻と、鞄はホタテ貝と交換される。そうして、身のまわりのものを次々と海のものと交換したテンちゃんは、ついに100階までたどり着いて……というお話。  単純なお話からは、なにやら哲学的なメッセージを感じる。だがそれ以上に楽しいのは、細かく描き込まれた絵を読むことだ。たとえば37階に住んでいるタコは画家で、ボッティッチェリの『ヴィーナスの誕生』みたいな絵を描いているし(ただしモデルはタコ)、87階のチョウチンアンコウは遺伝子の研究かなにかをしているらしい。何度読んでも新たな発見がある。子どもだけでなく、親も一緒に楽しめる絵本だ。
ベストセラー解読
週刊朝日 7/24
ボラード病
ボラード病
ボラードとは、船を港に繋ぎとめておくための鉄の柱のことだ。ここにロープを巻いて繋いでおけば、悪天候の日でも、船はどうにか港に在りつづける。ボラードは船の拠り所のようなものかもしれない。  吉村萬壱の長篇小説『ボラード病』は、港のあるB県海塚市を舞台にしている。この町はかつて甚大な厄災に遭った。そのために住民は自宅を離れて長い避難生活を余儀なくされ、ようやく故郷にもどってからは復興に努めてきた。読者は、この町に母親と二人で暮らす小学5年生の女子の視点を通して、復帰から8年が過ぎた町の様相を知ることになる。  小学校では海塚市を讃える教育が徹底されている。住民たちはこぞって地元の魚や野菜を食べる。女子の同級生が次々と死んでいく。輪番で港の清掃活動に取り組み、回収したゴミの量を厳密に調べられる。みんなで何かにつけ「海塚讃歌」を歌う。住民同士の監視が厳しい。時に警察関係者らしき人物が誰かを追跡している。  明らかに重大な問題があるのに、ないことにする。見なかったことにする。聞かなかったことにする。とにかくクリーンで平和な町、海塚。それが町の復興と安寧の絶対条件でもあるかのように住民自らが信じ込み、そう信じない者たちを排除していく。そうやって強引に願望を現実に化けさせ、それを拠り所にして生活する人々。  この海塚市の病の物語を、東日本大震災後の被災地の話と読解するのは早計だろう。たしかにあの震災が起きたからこそ書かれた作品には違いない。しかし、ここに詳細に描かれた同調圧力の事例は、私たちがつい拠り所を求めて陥りやすいが故に、リアルに恐ろしく感じるのだ。いつだって、今だって、私たちは安易にボラードを求めて強者や多数の意見に倣っていないだろうか。  母親の願いどおり海塚市の実相を見続けた女子はその後、悲惨な人生を歩む。だが、彼女は最後までボラード病にはかからなかった。
ベストセラー解読
週刊朝日 7/17
フランスの子どもは夜泣きをしない
フランスの子どもは夜泣きをしない
「アメリカでは」「北欧では」と、なにかにつけ海外の実例を引き合いに出す人を出羽守という。ベストセラーの定番ラインでもある。日本だけのものかと思ったら、アメリカにもあるようだ。  パメラ・ドラッカーマン『フランスの子どもは夜泣きをしない』は、フランス流子育てについてのエッセイ。著者はアメリカ人のジャーナリストで、イギリス人のスポーツジャーナリストと結婚してパリに住んでいる。フランスの子育ては英米のそれとは大違いだというのである。この本はまずイギリスで、つぎにアメリカで出版された。  書名に「ウソだろう?」と思った。孫も子どももいないぼくだが、夜泣きの大変さぐらいは知っている。睡眠不足と育児疲れでゾンビのような表情になった新米ママ(そしてパパ)たちも見てきた。  ところが本当なのである。もちろん新生児のときは夜泣きするが、生後2、3カ月で、朝までぐっすり眠る。わが子の夜泣きに悩まされた著者は、その秘訣を聞いて回る。しかし答えは見つからない。フランス人はそれが当たり前だと思っているからだ。ようやく見つけたのはアメリカに里帰りしたとき。ニューヨーク在住のフランス人医師に話を聞く。ポイントは「ちょっと待つ」だ。赤ちゃんが泣いてもすぐあやしたりミルクを与えたりしない。ちょっと待つ。親が待つことで、赤ちゃんも自力で落ち着くことを覚える。 「ちょっと待つ」は子育て全般に共通している。食事でも何でも、世の中にはルールがあることを赤ん坊のうちから教える。それも頭ごなしにではなく、子どもが理解するまで待つのだ。ちなみに本書の原題を直訳すると「フランスの子どもは食べものを投げない」。  子どもが生まれると万事が子ども中心になる。しかし、子どもに振り回され、ストレスがたまり、そのはけ口を子どもに求めてしまう。最悪の帰結が虐待やネグレクトだ。まずはちょっと待とう。
ベストセラー解読
週刊朝日 7/9
池上彰の教養のススメ
池上彰の教養のススメ
時事問題に関するテレビ解説では、いまや誰もが第一人者と認める池上彰。池上はマスメディアで活躍する一方、2012年春から東京工業大学リベラルアーツセンター教授として教鞭をとっている。  リベラルアーツは、日本語では「教養」と訳される。かつて大学生がまだエリートだった時代には当然のように求められた教養も、進学率の上昇とともに「すぐには役に立たないもの」として軽視され、1991年にはじまった教養課程の改組によって必修ではなくなった。その後、学生はいきなり専門課程を学ぶようになり、「すぐに役に立つ知識」の修得に励んできた。  しかし、大学教育の大変革から20余年が過ぎた現在、教養が見直されているらしい。今なぜ教養が注目されているのか、池上自身はこう分析する。 <それは、教養なき実学、教養なき合理主義、教養なきビジネスが、何も新しいものを生み出さないことに、日本人自身が気づいたからかもしれません>  池上説によれば、既存のルールに則って合理的に格安のモノを作ったり、サービスを提供したりするのに長けた日本企業がこの20余年の環境変化に対応できず、新たな市場を創造できなかったのは、教養がなかったから。  教養を身につける──さまざまな分野の知の体系を学ぶ──ことで、世界を知り、自然を知り、人を知れば、世の理が見えてくる。そうなってこそ、創造性に富んだ新たな何かを生みだせる。この考えに基づき、池上とともにリベラルアーツを担当する教授陣も登場し、それぞれの視点から教養の重要性を語っている。中でも、哲学者でありながら対立する社会的意見の合意形成を実践してきた桑子敏雄の話は、哲学の実用性を具体的に紹介していて面白い。 <教養とは、つまるところ「人を知る」ということです>  学生よりも教育関係者にぜひ読んでほしい一冊。
ベストセラー解読
週刊朝日 7/3
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