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大友博

大友博

プロフィール

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

大友博の記事一覧

第18回 2001年ネヴァー・エンディング・ツアーの途中、60回目の誕生日前後に録音されたアルバム『ラヴ・アンド・セフト』
第18回 2001年ネヴァー・エンディング・ツアーの途中、60回目の誕生日前後に録音されたアルバム『ラヴ・アンド・セフト』 1997年のアルバム『タイム・アウト・オブ・マインド』によって、たとえばグラミー賞の最重要部門=最優秀アルバム賞を獲得するなど、あらためてたしかな存在感を示したボブ・ディラン。もちろん自らも強い手応えを感じていたに違いない彼は、98年と99年もネヴァー・エンディング・ツアーで100回以上ステージに立っている。同ツアーのメンバーは微妙に変化しているのだが、この間に、ギターだけでなくフィドルやマンドリン、バンジョーなども弾きこなすラリー・キャンベル(のちにリヴォン・ヘルムの片腕的存在となり、復活作『ダート・ファーマー』と遺作となった『エレクトリック・ダート』をプロデュース。どちらもグラミーを獲得するという、大きな仕事を残した)と、80年代にテキサス州オースティンから十代半ばの若さで登場して注目を集めたあのチャーリー・セクストンが参加。熱心なファンのなかには、この時期のラインナップを「ベスト」とする人が少なくないようだ。
第17回 ふたたびダニエル・ラノワと手を組んで《ラヴ・シック》《ノット・ダーク・イェット》などの名曲を送り出し、グラミーも獲得した1997年の作品『タイム・アウト・オブ・マインド』
第17回 ふたたびダニエル・ラノワと手を組んで《ラヴ・シック》《ノット・ダーク・イェット》などの名曲を送り出し、グラミーも獲得した1997年の作品『タイム・アウト・オブ・マインド』 トラディショナルを中心にした2枚のアコースティック・ギター弾き語り作品、30周年記念コンサートを記録したライヴ作品、MTVの企画『アンプラグド』からのライヴ・アルバムなどがつづき、ボブ・ディランは、1990年秋発表の『アンダー・ザ・レッド・スカイ』以来、スタジオ録音によるオリジナル作品を世に出していなかった。書けなかったのか? 書く気になれなかったのか? そのあたりは詮索しても意味のないことだと思うが、突然なにかが閃いたのか、95年から96年にかけて、ネヴァー・エンディング・ツアーで各地を回りながら、彼は曲づくりをつづけていったようだ。
第16回 大規模な30周年記念コンサートから一転して、トラディショナル中心の弾き語り作品を発表
第16回 大規模な30周年記念コンサートから一転して、トラディショナル中心の弾き語り作品を発表 1992年秋、ニューヨーク、マディソン・スクエア・ガーデンで行なわれた30周年記念コンサートからちょうど1年後ということになる93年秋、ボブ・ディランは、通算29枚目のスタジオ録音アルバム『ワールド・ゴーン・ロング』を発表している。前年発表の『グッド・アズ・アイ・ビーン・トゥ・ユー』同様、全編、アコースティック・ギターの弾き語りで、トラディショナルや古いブルースのみという内容だった。アルバム・タイトルは1曲目に据えられたトラディショナルからとられている。
第15回 多くのトップ・アーティストが参加し、ディランの功績を称えた『ボブ・ディラン30周年記念コンサート』
第15回 多くのトップ・アーティストが参加し、ディランの功績を称えた『ボブ・ディラン30周年記念コンサート』 ボブ・ディランが米コロムビアからセルフ・タイトル・アルバムでデビューをはたしたのは、まだ二十歳の青年だった1962年春。それからちょうど30年後ということになる92年の秋(10月16日)、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで大規模な記念コンサートが行なわれている。
第14回 豪華ゲスト陣参加の話題作から、一転して完全弾き語り。90年代を迎えても、ボブ・ディランの歩みは止まらない
第14回 豪華ゲスト陣参加の話題作から、一転して完全弾き語り。90年代を迎えても、ボブ・ディランの歩みは止まらない 前回のコラムでは、80年代が幕を閉じようとしていたころに発表されたアルバム『オー・マーシー』を紹介した。ダニエル・ラノワの協力を得て仕上げたその作品によってディランはあらためて強い存在感を示したわけだが、当時の動きで忘れられないものの一つとして、トラヴェリング・ウィルベリーズがある。ディラン、ロイ・オービソン、ジョージ・ハリスン、トム・ペティ、ジェフ・リン(ELO)の5人がウィルベリー姓の兄弟という設定の、いわゆる覆面プロジェクトだ。いや、顔を隠してもいないので、究極のファン・プロジェクトといっていいだろう。基本的には5人が対等の関係で関わったこのプロジェクトからは《ハンドル・ウィズ・ケア》のヒットも生まれている。信頼できる友人たちとレコーディングを楽しんだことが『オー・マーシー』の充実ぶりにつながっていたのかもしれない。
第13回 鬼才ダニエル・ラノワの協力を得て、あらためて強い存在感を示した作品『オー・マーシー』
第13回 鬼才ダニエル・ラノワの協力を得て、あらためて強い存在感を示した作品『オー・マーシー』 『スロウ・トレイン・カミング』につづいてディランは、1980年に『セイヴド』、81年に『ショット・オブ・ラヴ』と、もちろん全編にわたってというわけではないものの、キリスト教信仰をテーマにしたアルバムを発表している。これらを三部作と呼ぶ人も多いようだが、83年、ふたたびマーク・ノップラーと組み、リズム・セクションにはスライ&ロビーを迎えた『インフィデルズ』で従来のスタンスに戻り、85年『エンパイア・バーレスク』、86年『ノックト・アウト・ローデッド』、88年『ダウン・イン・ザ・グルーヴ』と、オリジナル作品の制作に取り組んでいった。85年夏に開催された大規模なベネフィット・コンサート、ライヴ・エイドではキース・リチャーズ、ロン・ウッドと共演し、86年にはトム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズとのワールド・ツアーの初期段階で2度目の来日公演を実現させている。翌87年にはグレイトフル・デッドとスタジアム・ツアーを行ない、ライヴ・アルバムも制作された。そして、88年夏には現在までつながるネヴァー・エンディング・ツアーがスタートしている。
第12回 大きな精神的転換期にあったディランが残した、70年代最後の作品『スロウ・トレイン・カミング』
第12回 大きな精神的転換期にあったディランが残した、70年代最後の作品『スロウ・トレイン・カミング』 1976年1月にアルバム『デザイア』を発表したボブ・ディランは、同年4月にローリング・サンダー・レヴューを再開。翌月にかけてほぼ同じ顔ぶれのミュージシャンたちとアメリカの南部と西部を回り、NBC制作のテレビ・スペシャルとライヴ盤『ハード・レイン』を残している。そして11月25日には、サンフランシスコで開催されたザ・バンドのフェアウェル・コンサート『ザ・ラスト・ワルツ』に参加。エリック・クラプトン、ニール・ヤング、ヴァン・モリスン、ジョニ・ミッチェル、マディ・ウォーターズらが顔を揃えた文字どおりのオールスター・コンサートの終盤に登場し、強い存在感を示した。本稿執筆時点からみると、ちょうど40年前のことである。
第11回 34歳のボブ・ディランが意欲的に取り組んだ、新たなコンセプトの創作活動『デザイア』
第11回 34歳のボブ・ディランが意欲的に取り組んだ、新たなコンセプトの創作活動『デザイア』 《ブルーにこんがらがって》《愚かな風》《運命のひとひねり》などの名曲を生んだ『ブラッド・オン・ザ・トラックス』は各方面から高く評価された。発表は1975年1月。一気に商業化が進み、反発する勢力も出現するなど、ロックが大きくその様相を変えようとしていた時期にあたるわけだが、もちろんそういったことには関係なく、34回目の誕生日を迎えたころ、ディランはまた新たな一歩を踏み出している。アルバム『デザイア』の制作と、ユニークな発想のコンサート・ツアー、ザ・ローリング・サンダー・レヴューだ。
第9回 『プラネット・ウェイヴズ』完成後、ボブ・ディランとザ・バンドが行なった北米ツアーを記録した2枚組ライヴ・アルバム『ビフォア・ザ・フラッド』
第9回 『プラネット・ウェイヴズ』完成後、ボブ・ディランとザ・バンドが行なった北米ツアーを記録した2枚組ライヴ・アルバム『ビフォア・ザ・フラッド』 1973年11月、ロサンゼルスのスタジオで『プラネット・ウェイヴズ』を録音したボブ・ディランとザ・バンドは、発売日直前ということになる翌74年1月3日、シカゴから北米ツアーをスタートさせている。21都市のアリーナとスタジアムを回り、40回もステージに立つという大規模なものだった(2回公演の日もあった)。前回も書いたことだが、1966年夏のオートバイ事故以降ディランは、イベントなどを別にすると、本格的なコンサートを行なっていなかったので、約8年ぶりのツアー復帰となった。その66年のツアーは、ロビー・ロバートソン、リック・ダンコ、リチャード・マニュエル、ガース・ハドソンらをバックに行なわれたもの。当時の彼らはザ・ホウクスと名乗っていて、また、諸事情からリヴォン・ヘルムは同行していなかったが、ともかく、ザ・バンドとのツアーも8年ぶりとなるものだった。
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