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大友博

大友博

プロフィール

大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中

大友博の記事一覧

還暦を過ぎたChar(チャー)のライヴに、カルメン・マキがまさかの飛び入り参加!
還暦を過ぎたChar(チャー)のライヴに、カルメン・マキがまさかの飛び入り参加! 6月25日の土曜日、渋谷東急文化村のオーチャード・ホールでCharのコンサートを観た。じつは、正式な形ではなかったものの、あのカルメン・マキがゲスト出演するという情報をつかんでいたため、「ぜひとも」と渋谷に向かったのだが、その前にちょっと、ここ数年のCharの動きを振り返っておきたい。
第77回 『クロスローズ・リヴィジテッド』エリック・クラプトン&ゲスト
第77回 『クロスローズ・リヴィジテッド』エリック・クラプトン&ゲスト 2016年4月、日本武道館で5夜限定特別公演を行なったエリック・クラプトンは、翌月、充実した仕上がりのオリジナル・アルバム『アイ・スティル・ドゥ』を発表している。71歳という年齢が信じられないほどの意欲的な姿勢を示していたわけだが、6月に入るとすぐ、英米のいくつかの音楽サイトに「末梢神経障害が原因でクラプトンはもうギターが弾けないかもしれない」という記事が掲載された。昨年から背中や足に強い電気ショック的な痛みを感じるようになったのだという。
ジャニス・ジョプリン わずか27年の人生をドキュメンタリー映画で追う
ジャニス・ジョプリン わずか27年の人生をドキュメンタリー映画で追う ジャニス・ジョプリンの27年間の人生と、その生きた時代、彼女が愛した音楽をテーマにしたドキュメンタリー作品『ジャニス : リトル・ガール・ブルー』を試写会で見ることができた(今年9月から渋谷のシアター イメージフォーラムなどで全国順次公開予定)。監督は、2006年の『フローム・イーブル~バチカンを震撼(しんかん)させた悪魔の神父~』でアカデミー賞長編ドキュメンタリー部門にノミネートされたエイミー・バーグ。ちょうどジャニスが亡くなったころに生まれた彼女が、すでによく知られた伝説や逸話もきちんと追いながら、家族の手もとに残された手紙などを生かし、新たな肖像を描き上げている。
第76回 『アイ・スティル・ドゥ』エリック・クラプトン
第76回 『アイ・スティル・ドゥ』エリック・クラプトン 2014年2月、20回目の日本公演を行なったエリック・クラプトンは、そのあと翌月にかけて、東南アジアと中東も回り、これはそのツアーに先がけて公式プログラムに寄せたメッセージという形で語られていたことだが、「本格的なツアーから引退」している。ただし、わずかな時間ながら話す機会があり、念のためそのことを確認すると、「たぶんね」と笑っていたものだ。
第21回 新生フリートウッド・マックの誕生
第21回 新生フリートウッド・マックの誕生 ロサンゼルス市ヴァンナイズ地区のスタジオをテーマにしたドキュメンタリー・フィルム『サウンド・シティ』は、心から音楽を愛し、トレンドに流されることなく、自分だけの音を創造するための努力をつづけてきた人たちの想いやこだわりが伝わってくる作品だ。2013年に公開され、日本ではWOWOWでも放送されたこの映画を監督・製作したのは、フー・ファイターズのデイヴ・グロール。ニルヴァーナが、ロックの歴史を変えたといっても過言ではない名盤『ネヴァーマインド』を録音したときサウンド・シティを知り、深く愛するようになった彼は、2011年に同スタジオが一般営業を終えた時点でその心臓部でもあったニーヴのコンソールを買い取ってパーソナル・スタジオに移し、新たな生命を与えている。
第20回 トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズと、その周辺
第20回 トム・ペティ&ザ・ハートブレイカーズと、その周辺 イーグルスが『ホテル・カリフォルニア』を発表したのは、1976年暮れのことだ。翌年春にはタイトル曲が全米1位を記録。アルバム自体の売上も、発売からわずか1年後には、アメリカだけで600万枚に達したという。当時としては、まさに驚異的な数字だ。すべての人が歌詞に込められた想いを受け止めていたとは思えないが、ともかくそのようにして頂点に立った彼らは、しかしその後、次第にパワーとメンバー間の絆を失っていき、80年代を迎えるとすぐ、いったん表舞台から姿を消している。
第18回 ウッドストックの周辺
第18回 ウッドストックの周辺 のちに「愛と平和の三日間」などと呼ばれることにもなる1969年夏のあの歴史的フェスティヴァルは、当初、ニューヨーク州南東部アルスター郡のスモールタウン、ウッドストックを中心にしたエリアで開催されることになっていた。しかし、環境条例や地元住民の反対などに阻まれ、直前に、そこから南西に100キロほど離れた、同州ベスルという農村での開催に落ち着いている。広大な土地を提供したのは、マウンテンの「ヤスガーズ・ファーム」などいくつかの曲でも歌われた農場主マックス・ヤスガーだ。
第16回 女性たちの投げるブラジャーやパンティーが宙を舞う光景を目にしてミュージシャンになった、ジャクソン・ブラウン
第16回 女性たちの投げるブラジャーやパンティーが宙を舞う光景を目にしてミュージシャンになった、ジャクソン・ブラウン 「仕事」といういい方は嫌いだが、ともかく、末席とはいえなんとか物書きの仕事をつづけるうち、どんどん引き込まれていった人たち(たとえば、エリック・クラプトン)や、あるいはまだなにもわからなかった段階でがつんとやられてしまった人たち(たとえば、ニール・ヤング)とは異なり、ジャクソン・ブラウンは、ちょうど大学に入ったころから、アルバム単位で、しかも同時進行で追いかけてきた人だ。いろいろな面で影響され、刺激を受け、その音楽を通じてさまざまなことを教えられてきた。
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