

大友博
プロフィール
大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中
大友博の記事一覧



第32回 『ノー・リーズン・トゥ・クライ』エリック・クラプトン
このweb連載でもすでに何度か触れてきたことだが、エリック・クラプトンは20代前半のころから、ロビー・ロバートソンを中心としたほぼ同世代のグループ、ザ・バンドを強く意識しつづけてきた。衝き動かされてきた、といってもいいだろう。クリーム解散の引き金となったのは、ザ・バンドの最初のアルバム『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』だったし、のちに、「彼らは私の人生を変えた」とまで語っている(ボブ・ディラン30周年記念コンサートでの紹介トーク)。メンバーに加えてほしいという想いを抱え、ウッドストックに彼らを訪ねたことすらあったというのだ。

第31回 『安息の地を求めて』エリック・クラプトン
1974年6月にスタートしたエリック・クラプトンの復活ツアーは、同年秋に実現した初来日公演のあと、翌年、ふたたび全米各地を回り、2回目の来日公演(10月22日から11月2日にかけて、計7回)で幕を閉じた。この間に彼はミュージシャン/シンガー/バンド・リーダーとしての自信と感覚を完全に取り戻し、また、ジョージ・ハリスンのもとを去ったパティと行動をともにするようになっている。その一方で、なんとか断ち切ったドラッグに代わって、アルコールの問題が深刻になっていった。依存という意識はなかったのかもしれないが、24時間、酒が抜けることがなく、1日にブランデーを3本などということも珍しくなかったそうだ。






第25回 『イン・コンサート』デレク&ザ・ドミノス
『レイラ・アンド・アザー・アソーテッド・ラヴ・ソングズ』のレコーディングを終えるとデレク&ザ・ドミノスは、仕上げはトム・ダウドに任せ、ツアーを開始している。1970年9月23日、イングランド南東部のイースト・サセックスからスタートしたこのツアーは、ほぼ毎日ステージに立つペースで10月11日まで英国、10月15日から12月6日まで米国各地を回るというもの。アルバムの発売は11月だったので、クラプトンが望んでいたとおり彼らは、一般的なイメージとしては正体不明のバンドとしてツアーをつづけたことになるわけだ。実際、クラプトンの新プロジェクトへの関心はそれほど高まらなかったようで、危機感を覚えた発売元は、正確な時期はわからないが、「デレク・イズ・エリック」とプリントされたバッジをつくったりしている。