

大友博
プロフィール
大友博(おおともひろし)1953年東京都生まれ。早大卒。音楽ライター。会社員、雑誌編集者をへて84年からフリー。米英のロック、ブルース音楽を中心に執筆。並行して洋楽関連番組の構成も担当。ニール・ヤングには『グリーンデイル』映画版完成後、LAでインタビューしている。著書に、『エリック・クラプトン』(光文社新書)、『この50枚から始めるロック入門』(西田浩ほかとの共編著、中公新書ラクレ)など。dot.内の「Music Street」で現在「ディラン名盤20選」を連載中
大友博の記事一覧







第8回 『ホワッツ・シェイキン』エリック・クラプトン&パワーハウスほか
自叙伝『クラプトン』ではなぜか触れられていないのだが、1966年春、ブルースブレイカーズのアルバム制作と前後してエリック・クラプトンは、パワーハウスというプロジェクト名義のレコーディングを行なっている。メンバーはクラプトン=ギター、スティーヴ・ウィンウッド=ヴォーカル、ジャック・ブルース=ベース、ポール・ジョーンズ=ブルースハープなど6人。ただし、正式なバンドではなく、アメリカのレコード会社エレクトラがイギリスでの本格的業務開始にあたって企画した、いわゆるサンプラー・アルバムのために組織されたスペシャル・ユニットだった。メンバーの推薦など、中心になって動いたのはマンフレッド・マンのメンバーとして活躍していたポール・ジョーンズだったといわれているが、アルバム・ジャケットでのクレジットはエリック・クラプトン&ザ・パワーハウス。『ウィズ・エリック・クラプトン』の発表を前にして、すでに彼は、ロンドンの音楽界でそれだけの評価を獲得していたわけである。

第7回 ボブ・ディラン『ブロンド・オン・ブロンド』
2007年出版の自叙伝『クラプトン』の、原書でいうと60頁に、ボブ・ディランとの出会いが書かれている。1965年4月から5月にかけて、ディランは初の本格的な英国ツアーを行っているのだが、ちょうどその時期、ブルースブレイカーズに参加したばかりのクラプトンは、ジョン・メイオールの推薦もあって彼のセッションに参加したというのだ。ディランが《ライク・ア・ローリング・ストーン》を録音するのは同年6月、ニューポート・フォーク・フェスティヴァルのステージにエレクトリック・バンドを従えて登場するのは7月のことだから、すでに、さまざまな機会を生かして、意欲的な試行錯誤を重ねていたのだろう。


第5回 ヤードバーズ『フォー・ユア・ラヴ』
エリック・クラプトンの初公式作品『ファイヴ・ライヴ・ヤードバーズ』は、録音が1964年3月、発売が同年暮れ。この9カ月のあいだにイギリスの音楽界をめぐる状況は大きく変化していた。激変といっていいだろう。アメリカ進出をはたしたビートルズが世界的な規模でビートルマニアを巻き起こし、ローリング・ストーンズもビッグ・ヒットを連発。ブルース求道者的な立場を貫いていたクラプトンはあまり意識していなかったようだが、ヤードバーズのほかのメンバーたちは、次第に「オレたちも」と思うようになっていった。同世代の音楽仲間が急速に巨大化し、その結果として富や名声を手に入れてしまったのだから、まあ、無理もない。周囲の人たちからの期待も半端ではなかったはずだ。