今じゃ考えられない“不滅の記録”? 阪神・久保田智之「伝説のシーズン90試合登板」を 振り返る NPBのシーズン最多登板記録は、1961年に西鉄・稲尾和久が達成した78試合が長い間、不滅の記録だったが、05年に阪神のリリーフエース・藤川球児が「80」に更新。そして、07年に前人未到のシーズン90試合登板の金字塔を打ち立てたのが、藤川、ウィリアムスとともに阪神最強のリリーフトリオ“JFK”を構成した久保田智之だった。 プロ野球阪神久保田智之 6/5
巨人、中日はシーズン中に“禁断の動き” 勢力図に変化も「同一リーグの捕手トレード列伝」 同一リーグ内の捕手の移籍は、全投手の情報が流出することから“ヤバい”とよく言われるが、過去にはFA移籍も含めて、捕手が同一リーグのチームに移籍した例も少なくない。 プロ野球トレード捕手 6/2
本当にいた? 巨人には“1年で戦力外”の西武・黄金期メンバー、チームに所属した印象のない男たち トレードなどで複数の球団を渡り歩いた選手は、活躍時の所属球団のイメージが強くなる。その一方で、在籍期間が短く、活躍できずに終わった球団では、チームに所属していた事実すら、ファンに忘れられがちだ。 プロ野球 5/26
巨人と8年契約「エースになりかけ」も怪我で暗転も…“太く短く”活躍したアジア出身の投手たち NPBでは、アメリカや中南米出身の助っ人が多く活躍しているが、韓国や台湾などアジア出身の助っ人も少なくない。その中で、活躍期間こそ短かったものの、今も記憶に残るアジア出身の投手たちを振り返ってみよう。 プロ野球 5/19
巨人の「貧打ぶり」ヤバかったシーズンは? 主軸の相次ぐ不振で“意外な打者”が最高打率の年も 毎年強力打線を看板にしているイメージが強い巨人だが、打撃は水物。今季もチーム打率.228がリーグ5位(5月9日終了時点)と打力不足に苦しんでいるが、これまでも貧打に泣いた年もある。 プロ野球巨人貧打 5/12
阪神・岡田監督ブチギレも「ペナルティ3億円」の声で再開 試合放棄も覚悟した「猛抗議3選」 リクエスト制が導入された現在では、判定をめぐって監督が猛抗議するシーンもあまり見られなくなったが、過去には監督が放棄試合を覚悟で選手を引き揚げさせる騒動も少なくなかった。 プロ野球抗議 5/11
“赤いイチロー”やPL出身の野球エリートも 大成できなかった背番号「51」の外野手たち 背番号「51」というと、今でもイチローを連想する人が多いはずだ。イチロー以降も、51番は広島若手時代の鈴木誠也(現カブス)の出世番号になり、巨人・浅野翔吾が「イチローさんに近づけるように」と自ら希望してつけたエピソードも知られている。その一方で、大成できずに終わった51番も少なくない。 プロ野球 5/6
FA移籍も数年で「トレード放出」や「戦力外」 権利行使も新天地で“立場を失った”男たち FA移籍後、新天地で主力として長く活躍する選手がいる一方、在籍2、3年で引退したり、別のチームに移籍する選手も少なくない。 プロ野球 5/3
ドラフト最多8球団指名、野茂英雄&小池秀郎の「外れ1位14人」 89年組は“濃い選手”がズラリ 半世紀以上にわたるドラフトの歴史の中で、これまで最も多くの球団が1位指名で競合したのは、1989年の野茂英雄(新日鉄堺)と翌90年の小池秀郎(亜大)の8球団。抽選の結果、野茂は近鉄、小池はロッテが交渉権を獲得したのはご存じのとおり。それでは、抽選に敗れた7球団は、外れ1位で誰を指名したか?野茂と小池の代わりに指名された14人を振り返ってみよう。 プロ野球ドラフト 4/29
「野球のルール難しすぎ」 見逃し三振なのに振り逃げ!? プロも困惑した“ややこしい場面集” 野球のルールは、ある程度理解しているつもりでも、時には「えっ、そんなのがあるの?」と目を白黒させられることも少なくない。これまでに実際にあった珍プレーの中から、改めて「野球のルールは難しい」と実感させられたエピソードを紹介する。 プロ野球 4/28