追悼の歌、詩、文章を集めた本である。この本が、よくある「おくやみ集」とまったく違うのは、追悼される側が「野垂れ死ぬ」「刑死する」「殺される」ような人たちだからだ。そんな不遇の人の死に、追悼の詩を捧げるのは、その人を敬愛していた人ばかりではない。不遇の人というのは往々にしてまわりの人間にも迷惑をかけている。その、とんでもなく迷惑をかけられた人や、顔も見たくないと思っていたであろう人が、血の涙を流すようにして書いた言葉が異様な力で迫ってくる。悲しい、可哀相、だけではなく、なんだか笑ってしまうような力がそこにはこもっている。
 最初に出てくるのが、大逆事件で刑死した大石誠之助へ、与謝野鉄幹が書いた「誠之助の死」だ。「大石誠之助は死にました、/いい気味な、/機械に挟まれて死にました。」という書き出しの、日本の詩のなかで三本の指に入るであろう、美しい詩だ。そして、関東大震災のドサクサのなかで虐殺された大杉栄への悼詞、連続射殺魔永山則夫への悼詞と続く。永山則夫へのものは、同じく死刑囚として収監中の大道寺将司が書いた。
 悼むことばは、じめじめしていない。悲惨極まるのにカラリとしているのだ。歌人の齋藤史が、幼なじみで仲のよかった二・二六将校へ書いた歌が、「暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた」だ。やはり乾いている。背中がすーっと涼しくなる。この本は「悲惨な人の悲惨な死に方を紹介した本」だともいえる。ダダイスト辻潤の死にざま。息子辻まことがのこした悼詞。「おやじの行為と表現は、私の、そして多くの人々の精神の願望の犠牲のように思われるから……」。その息子もその後自殺して果てる。
 これは一例で、そこに投げつけられるように捧げられた悼詞を読んでいると、いつかこうして自分も悲惨に死ぬのだ、悲惨に死ぬことはそれほど悪いことでもないのだ、と思えてくるのだ。そういう本です。

週刊朝日 2014年6月27日号