ブラック企業が流行っているから、そこにAKB48をくっつけた便乗商法と思いたくなる書名であるが、読んでみると本当に「AKB48とブラック企業について書いた本」である。
 著者は「AKB48が日本社会の労働の縮図である」と言っていて、そのことを説明すべく、AKB48に起こっているいろいろなエピソードを細かく紹介している。有名なところでは峯岸みなみの丸刈り事件とか、指原莉乃の交際発覚→HKT48移籍とか。秋元康を頂点とした「AKB48システム」の中で、AKB48グループのメンバーたちは競わされ、ある者は成功しある者は脱落し……という有り様が、日本の企業に組み込まれた人間の動きと同じである、という話なのだが、いやそれは何もAKB48に限らない話じゃないだろうか。それは宝塚歌劇団だってジャニーズだって同じことのような。
 雇用問題総合誌の編集長である著者は、秋元康による歌詞も引用して、そこに労働問題が内包されている、そして「恋するフォーチュンクッキー」は、AKB48世界を知る者しか理解し得なかった今までの「労働楽曲」が、AKB48世界を知らない者にもわかるもの(=労働讃歌)となって大ヒットした、と言う。そ、そうだったんですか。あれはそういう歌だったのか。
「AKB48はブラック企業である」と見立てるのはいいとして、ではそれはいいことなのか悪いことなのか、秋元康はブラック企業の総帥であるのか、が最後までよくわからない。基本的に、ブラック企業はよくないことを前提にしているようだが、ではAKB48はよくないのか、というとそこがぼやけているように感じられる。
 そこで何回か読んでみての解釈であるが、「その世界観の中に取り込まれてしまうとそこが正義の世界になる」ってことが眼目なのではないか。つまりブラック企業でも、中にいる人はそれを正しいと思うからそのブラック性が維持される、と。教訓として、そう読んで納得してみた。

週刊朝日 2014年3月28日号