著者の夫である吉村昭は、岩手県三陸海岸にある田野畑村を舞台にした小説『星への旅』で、作家としての出発地点に立った。その村へ行くには、かつて東京から2泊3日もかかったが、吉村は夏になると毎年のように欠かさず訪ねていた。東日本大震災の翌年、15年ぶりに村を訪れた著者は、被災前の村の姿を振りかえり、8回にわたって散文を綴る。
 空と海と星空のかぎりなく美しい田野畑村は、人口4千人足らずと小さく、人々は日本のチベットと呼んでいた。著者は吉村との新婚早々に夫婦で行商に出て石巻から北に向かい、北海道の根室まで流れていったことがある。三陸の小さな村は、小説を書くという心の支えを持ち続けたころを思い出させるのだろう。かつての村長がたいへん魅力的な人物で、村が俗化しないよう説得された吉村は岬をひとつ買い、乳牛のオーナーにもなった。その村長は無医村に都会の医者夫婦まで呼んで来た。大震災ののち吉村の『三陸海岸大津波』の大増刷にともなう印税のすべてを著者は村に寄付し、断崖がせまるため今も堤防を築けない村をいとおしむ。

週刊朝日 2014年1月24日号