東京・多摩川の河原で見つけた「昭和の楽園」の人々 写真家・山下恒夫 (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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東京・多摩川の河原で見つけた「昭和の楽園」の人々 写真家・山下恒夫

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撮影:山下恒夫

撮影:山下恒夫

写真家・山下恒夫さんの作品展「多摩川のほとりで Along the river」が11月12日から東京・銀座のキヤノンギャラリー銀座で開催される。山下さんに話を聞いた。

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「知らない人を撮るのって、わりと修行じゃないですか」と、山下さんは言う。「なかなか撮れないのをがんばって撮ろうと、自分に課したんです。そんなことを鬼海(弘雄 ※1)さんに言ったら怒られちゃうけど」。

(※1 鬼海弘雄は東京・浅草寺の壁を背景に、通りかかった人に声をかけて撮り続けた写真家。今年10月19日に亡くなった)

 6年ほど前から撮り始めたという作品は東京湾に注ぐ多摩川の和やかな河原の風景から始まる。青空の下、川面に陽光が降り注ぎ、きらきらと輝いている。その手前には家族連れや半袖姿のカップルでにぎわう様子が写っている。画面に満ちたしあわせな気分が伝わってくる。

「この河川敷に小屋が建つんですよ。春になると。海の家みたいな」

 それが今回の撮影の舞台となった休息所「かわや」だ。「二子玉川の、外車がビュンビュン走っているハイソなところにあるんですけど、これが、めっちゃ昭和なんです」。

 河川敷に休息所の土台となる木の枠が組まれ、柱が建てられていく。そして、建物が完成するのだが、新しさがちっともない。トタンはよれよれだし、ペンキはあちこち剥げ、薄汚れている。山下さんの言葉どおり、昭和の時代からずっとここに建っていたような、昔懐かしい雰囲気が漂っている。

「何十年も同じ材料で建てては壊してを繰り返しているからこんな感じなんです。実はこれ、ここに橋がなかったころ、渡し舟があった時代の休憩所の名残りなんですよ」
撮影:山下恒夫

撮影:山下恒夫

ラーメンやビールを注文してのんびりと待つ

 かつて多摩川には上流の小河内から河口までの間に舟による渡しが39カ所もあった。街道沿いの渡船場の周囲には宿屋や料亭が立ち並び、大いに賑わったという。

「大山街道」(現・国道246線)沿いの二子玉川には1925(大正14)年に二子橋が架かるまで「二子の渡し」があった。「かわや」はその痕跡という。

 そこでフランクフルトを売っているのはイケメンのお兄さん。「かっこいいでしょ。モデル業をしながらここでバイトしているんです」。店のオーナーである田中海亀さんはというと、木陰で折りたたみベッドを広げ、「暇そうに寝ているだけです。店はかあちゃんに任せて」。

 山下さんの家は多摩川まで徒歩15分くらいのところにある。「週末にふらっと行って、ラーメンとかビールを注文して、面白い客とか、出来事がないかな、と」。

 店の奥から撮影した写真には生ビールとかき氷を楽しむ父と娘の姿が写り、いい感じの空気を醸し出している。

「スズメを呼ぶおじさん」は河原の常連。持ってきたコメをスズメにやるのだが、「この人が来るだけでスズメが集まってくるんですよ」。河原にたたずむ熟年夫婦も顔見知りで、「写真屋さん、撮ってくれよ」と声をかけられ、撮影した。

「なんか、みんな人生わけありの感じですね。まあ、そういう写真を選んだのもありますけど」

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