「4次元時空間に浮かぶ古い家族写真たち」
「4次元時空間に浮かぶ古い家族写真たち」
写真の中の母に会いに行こう。でも、どうしよう、と

 時空間への旅は1998年、笠木さんの母が亡くなったときから始まった。最初は「この人が残した着物や洋服を着て、どんどん自分の写真を撮ったのね。心を整理しなくちゃ、ということで。そうしたらよけいに乱れて。なんかやらなければいかんなあ、と。ちょっとずつ思い始めたんです」。

 それから数年たち、少し落ち着いたころだった。「私は生まれる前の母についてほとんど知らなかったので、叔母さんに聞きに行ったら、昔の写真を出してくれたんです。そのとき、(写真の中の母に)ものすごく会いに行こうと思ったんですね。ここに会いに行こう。でも、どうしよう、と」。

 理論物理と母への思いがごちゃ混ぜになったなんともすごい話である。映画「インターステラー」のなかで、主人公の父親は過去の娘に会うため、5次元空間(重力の軸が加わっている)でもがくのだが、そのシーンが思い浮かんだ。

「で、ここに行こうとしたんですね。この子を抱きに」

 そう言って、指さしたのは96年前、朝鮮半島北部の鏡城で撮影した家族写真だった。「この子」というのは生まれたばかりの笠木さんの母親である。「この子を抱くためには、私が私自身の写真を撮って、ここに合成というか、スーパーインポーズすれば、いいんじゃないか、と。これは絶対にやらないかんと思って、まだPhotoshopを使うのがへたなのに四苦八苦して作品をつくったんです」。

 その後、笠木さんは「行ってみたいという、欲望が強くなって」、台湾、旧満州(現中国東北部)と、母の足跡をたどる旅に出るのだ。

推理小説みたいで、昔の街を歩いているような気分になる

 最初に訪れたのは台湾・高雄だった。笠木さんの母の家族は<短期間に目まぐるしく東アジアを大移動している。(高校教師だった)祖父の専門が国漢であったので、当時外地と呼ばれた日本統治地域を舞台に転任することになったと思われる>(『私の知らない母』。カッコ内は筆者)。

 高雄では古い地図を手に街を歩き、撮影し、日本台湾交流協会であらかじめ入手してあった写真と重ね合わせて合成した。

「街並みはずいぶん変わっていましたけれど、通りはほとんど変わっていなくて。古い地図と照らし合わせると、名前こそ違え、その道路がわかるんです。推理小説みたいで、昔の街を歩いているような気分になる。そのへんから子どもだった母が出てきそうな感じが出るように合成しています」

 次は向かったのは旧満州だった。なかでも瀋陽(旧奉天)に近い撫順は、笠木さんの母が9歳から17歳まで、満州で最も長く、最も多感な時期を過ごした街だった。

 街のすぐ南には巨大な露天掘りの炭鉱があり、併設された火力発電所は大量の電力を生み出していた。

<それほどのエネルギー源を持つ街であればこそ、当時の撫順の日本人住宅は時代の最先端を行く超近代住宅だった、各戸に設置されたダイヤル式電話、水洗トイレ、スチーム暖房システム>(同)。

「母は撫順を美しい思い出の街としてよく語っていました。よき女学校時代。楽しかったと。語れる青春はそこにしかないのでね……」

 そうなのだ。私も知っている。彼女のよき青春はもうすぐ終わるのだ。ソ連軍の侵攻。それを思うと腹の底に重いものを感じた。

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母への思いとは別の感情