「港区女子」も驚きの変貌!? 大人の街・西麻布を走っていた「専用軌道」とは
連載「路面電車がみつめた50年前のTOKYO」

かつて「霞町」と呼ばれた東京・西麻布周辺。四谷三丁目からやって来た7系統品川駅前行きが墓地下を発車。左にカーブを切って霞町に向かうシーンだ(撮影・諸河久:1964年5月16日)
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かつては都電の軌道の両脇に木造家屋が迫り、閑静な住宅地であった麻布霞町界隈。50年以上が過ぎた現在は瀟洒な飲食店などが立ち並び、辺りは様変わりしている。ここには自動車が走れる道路がなく、都電のみが通行できる専用軌道が敷設されていた。現在の都電・荒川線に見られるような形態で、都電は車に邪魔されずスムーズに走れた。
東京オリンピック関連の道路工事が進捗し、1964年初夏には青山一丁目から霞町交差点(現・西麻布交差点)に抜ける広い舗装道路の建設が始まっていた。拡幅のため移転した沿道住宅の跡地には重機が搬入され、長閑だった「麻布の専用軌道」も終焉を迎えようとしていた。
「麻布の専用軌道」の主役は7系統で、品川駅前を発して、泉岳寺前~古川橋~天現寺橋~霞町~青山一丁目~四谷三丁目に至る8181mの路線だ。7系統の歴史は古く1906年、東京電気鉄道が信濃町線・広尾線として、信濃町~天現寺橋を開通させたときに始まる(1911年に東京市営になる)。ちなみに、墓地下停留所は当初「青山墓地下」であったが、明治年間に「墓地下」に改称されている。
四谷三丁目からやって来た7系統品川駅前行きが墓地下を発車。左にカーブを切って霞町に向かうシーンを軌道敷きの外から撮影した。専用軌道独特の軽やかな通過音が印象的だった。

同じ位置から撮影した現在の写真。辺りには「隠れ家」のような飲食店も多く、大人にも若者にも人気の街に変貌した(撮影・井上和典/AERAdot.編集部)
現在、この界隈まで歩いて行くには、地下鉄六本木駅、表参道駅、広尾駅などから10~15分前後かかる。人いきれの街からのこの距離がかえって静かな大人の街を演出するが、都電が走っていた当時のほうが親しみやすい場所だったのかもしれない。
■撮影:1964年5月16日
◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など多数
諸河 久(もろかわ・ひさし)/1947年生まれ。東京都出身。カメラマン。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「オリエント・エクスプレス」(保育社)、「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)など多数

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