森永卓郎氏。自身のコレクションを展示した博物館を持つ
森永卓郎氏。自身のコレクションを展示した博物館を持つ

 5月30日に創刊された隔週刊「トミカ 歴代名車 COLLECTION」は、タカラトミーが厳選した歴代名車を、その詳細を解説したマガジンとともにお届けするシリーズ。スポーツカーからはたらく車まで、毎号付いてくるトミカはオリジナルデザインで、これを集めると、唯一無二のトミカ・コレクションが完成する。

【動画】創刊号収録の「日産 フェアレディZ 432」はこちら

 創刊を記念して、マガジン巻末に収録されるリレーコラム「My car, My mini car」をAERAdot.にも配信。「日産 フェアレディZ 432」を取り上げた創刊号のコラムは、経済アナリスト・森永卓郎による「トミカ誕生の衝撃」だ。

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 ボクがミニカーコレクションを始めたのは1966年、9歳の時だった。父の仕事でオーストリアのウィーンに転勤することになった。いきなり現地の公立小学校に入れられたのだが、言葉はまったくしゃべれず、 黄色人種差別も激しかったので、ボクは友達が一人もできなかった。そこで、学校から直帰するとずっと家にいるという暮らしになった。

 そんなボクに父が買い与えてくれたのが、ミニカーだった。当時のミニカーは高級品で、誕生日とクリスマスくらいにしか買ってもらえなかったが、ミニカーの本場の欧州では日本の3分の2くらいの価格だったのと、在外赴任手当で父の懐が豊かになったので、毎日一台くらいのペースで買ってもらえた。そのため、11歳で帰国した時にはボクのコレクションは1000台を超えていた。

 ところが、直後の1970年代にミニカーは、暗黒時代を迎えることになる。60年代後半から世界中で巻き起こったホットウィールの大ブームに便乗しようと、ほとんどのミニカーメーカーが、ミニカーに派手な塗装を施し、エンジンを飛び出させるなどして、実車とかけ離れた「走るおもちゃ」に変身させてしまったのだ。

 そんななか、1970年に誕生したトミカは、衝撃的存在だった。実車に忠実で、プロポーションや塗装も美しく、世界唯一の本格的ミニチュアカーと呼んでもよいクオリティだったのだ。しかも、日本車をモデル化してくれたのが嬉しかった。1960年代は、まだ日本車のプレゼンスが強くなく、欧州のミニカーメーカーがモデル化していたのは、コーギーのトヨタ2000GTボンドカーとディンキーのホンダS800くらいだったからだ。

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トリノの自動車ショーでみた精密なモデルがそこに