現在の駿府城。廃藩置県によって静岡藩は廃止され、駿府城も廃城となり建造物は破却された。平成以降、こうした櫓や門が復元されている。
現在の駿府城。廃藩置県によって静岡藩は廃止され、駿府城も廃城となり建造物は破却された。平成以降、こうした櫓や門が復元されている。

 戦国大名今川氏の今川館が置かれていた駿府の地に、徳川家康は新たに駿府城を築き、関東移封を経て再び駿府城を隠居城とした。週刊朝日ムック『歴史道 Vol.26 江戸三百藩の名城大図鑑』では代表的な「家康の城」を、戦国時代と城郭研究の第一人者で、大河ドラマどうする家康」の時代考証担当ある小和田哲男さんが案内する。

【写真】発掘以前の天守台跡はこちら

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 現在の静岡市は、かつては駿河国の府中、すなわち駿府と呼ばれる町だった。NHK大河ドラマ「どうする家康」でも、駿府の町は大都会としてたびたび登場している。今回、「どうする家康」の時代考証を担当している静岡大学名誉教授の小和田哲男さんに、駿府城跡をご案内いただいた。

「駿府というと、家康の作った城下町として有名ですが、もとは駿河国主・今川氏の本拠である今川館が置かれていました。その今川館の跡に家康が築いたのが、駿府城です」

 現在、駿府城の石垣や堀、そして復元された櫓などの建物を見ることができるが、今川館がどこにあったのかは正確にはわかっていない。小和田さんは、かつてこの今川館跡の発掘に関係していた。

「まだ私が静岡大学の助教授だった1982年に、駿府城の敷地内に県立美術館が建設されることになり、事前に建設予定地の発掘をしたところ、今川館の遺構と思われる柱穴や井戸が見つかったんです」

 小和田さんは調査委員の一人として発掘に加わっていた。貴重な遺構なので、美術館の建設は中止してほしいと静岡県に要望したが、県は発掘の事実を公表せず、建設計画を進めようとしたという。小和田さんは、なんとか建設計画にストップをかけるため、県に無断で記者会見を開き、工事中止を訴えた。さらに「駿府公園内今川氏遺構を守る会」を作り、保存運動を展開。しかし、当時の上司が建設推進派だったこともあり、運動は苦心の連続だったという。

「余計なことをするなと嫌がらせを受けたりもして、すっかり痩せてしまったのですが、当時、健在だった父に、人間が一回り大きくなったんだからいいじゃないかと励まされたのを覚えています」

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地中から姿を現したのは…