「母の怒りがさらに強くなると、私が大切にしているものを目の前で捨てたり壊したりするんです。たとえば、お気に入りの雑誌の付録をびりびりに破くとか。私はこれを“お片付け”と呼んでいて、母が怒っていることに私なりの言い分があっても、ここで言い返したらお片付けになる、と思って言葉を飲み込んでいました。怒りがそれ以上になると、まったく口を聞いてくれなくなりました。私がそこにいないかのように、完全無視するんです」

『傲慢と善良』の真実も、親、特に母親の影響を強く受けながら育ってきたことを、架は次第に知っていく。子どものことを思って、子どものことが心配だから、という気持ちからであっても、干渉がすぎればそれは抑圧となる。しかし子ども自身はそうと気づきにくい。ミフユさんが「似たところがある」と感じているのも、まさにそこだろう。

 親の顔色をうかがい、「こういう子であってほしい」という期待や要請に応えるばかりだと、“親にとっての、いい子”に育つ。ミフユさんは甘えたいという欲求を感じても、常に忙しそうな母を前にして、みずからその欲求を押し殺す癖がついていた。こうした子は一般に「手がかからない、いい子」といわれる。

 作中の真実には姉がひとりいる。同じ家庭環境で育っても、姉妹で正反対というほど性格が異なるのはよくあることだが、姉には自立心があり、行動力もある。このように自分の人生を自分で開拓する女性のほうが、本来の意味で「手がかからない」と思うが、親にとってはそうではない。

 架は婚約者の行方を探るヒントがほしくて、その姉から話を聞く。性格は違っていても、姉妹だから見えることもある。

 さらに、“いい子”の呪縛に囚われて生きてきた女性を紹介しよう。

 40代のマイさんは関西に生まれ、父が絶対的な存在として君臨する家庭に育った。父ひとりがルールだった。小学生のころの門限は16時。放課後に友だちから遊びに誘われても、断って家で過ごした。中学生、高校生になると門限は少しは伸びたが、学校からまっすぐ帰宅しなければ間に合わない時間であることに変わりはなかった。

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「いい子でいるっていうことは、実は楽でもあるんです」