数ヶ月前、車の中でこづえさんが突然、「何があっても、応援してるからね」と言ったことがあった。あまりに唐突で、しかも嘉門さんはハンドルを握っていたため、「おう」と返しただけ。忘れてしまっていたこづえさんの言葉が、今になって脳裏によみがえった。

 これもこづえさんの演出なんだと、嘉門さんは思う。

「職業柄、ただ嘆き悲しんでいていい立場ではないと自覚しています」と話す嘉門さん。こづえさんの遺志を継ぎ「アンチエイジングの歌」の動画を編集し、49日が終わった後、ユーチューブで公開した。夫の手で、念願の“歌手デビュー”を果たした。

 妻と生きた14年間のできごと。自宅で過ごした最後の21日間と、160人で見送った花道。妻が亡くなってから、宙を仰ぐような不思議な動作をするようになった2匹の飼い。そんな過去と今を、何か形にしていきたいと話す。
 
 だが、死別からわずか2カ月。今が苦しくないはずはない。取材中、嘉門さんは何度も眼鏡をはずして涙をぬぐった。
 
 思い出の店に行けば、妻の好きだった料理の味が心にしみて泣けてくる。行きつけの店で飲んでいても、こづえさんはもういない。

「いっつも、ここにおったなあってね」

 それでも、震える声で、一生懸命思いを話した。

「彼女が生きたことも、亡くなったことも、ちゃんと意味を持たせたいと思っています」
 
 物語を、続けるんやー。  
                ◆

 取材は、都内のホテルで行われた嘉門さんの、とあるステージの前だった。

「見てってくださいよ」
 
 本番ギリギリまで話してくれた嘉門さん。筆者にそう声をかけると、さっそうと衣装をはおりサングラスをかけて控室を出ていった。
 
 会場は控室の向かいの宴会場。お言葉に甘え、客席後方の壁際にいすを置き、座らせてもらった。
 
 不思議な光景だった。

 ついさっきまで亡き妻を思い涙していた男性が、「嘉門タツオ」としてお客さんを一瞬で爆笑させている。毒あり悲哀あり、ちょっとシモありの歌とトークに、筆者も仕事を忘れかけて吹き出した。
 
 中でも盛り上がったのは「炎の麻婆豆腐」という一曲。
 
 麻婆豆腐への愛や作り方を歌ったものだが、「麻(まー)と~辣(らー)~が~♪」と熱唱するサビに入ると、お客さんがタオル代わりに卓上の白いナプキンをぐるぐる振り回す。
 
 アルバム「食べることは生きること~」に収録された、こづえさんと一緒に作った歌。
 
 こづえさんは、いつも会場の、ちょうど筆者がいたあたりに座っていて、嘉門さんの歌にのってタオルをぐるぐると回していたそうだ。

 会場にいた嘉門さんのスタッフが、そう教えてくれた。(AERA dot.編集部・國府田英之)

著者プロフィールを見る
國府田英之

國府田英之

1976年生まれ。全国紙の記者を経て2010年からフリーランスに。週刊誌記者やポータルサイトのニュースデスクなどを転々とする。家族の介護で離職し、しばらく無職で過ごしたのち20年秋からAERAdot.記者に。テーマは「社会」。どんなできごとも社会です。

國府田英之の記事一覧はこちら